看取り士日記 mitorishi’s diary

看取り士日記(367)~聖歌に包まれて~

節分が過ぎたある日、御依頼者様とそのお母様のM様に入院中の病院にてお会いする。発熱で入院されて点滴をしばらくされていたが、意識が回復してきて点滴も外せるようになり、もうすぐ退院となりお会いした。お声掛けにも、明るくお返事して下さった。
御依頼者様(御長男)もお母様にお声掛けされていて、愛いっぱいの方だった。
お父様の看取りのご依頼が約8年ほど前にあったとの事だった。その当時の事があり今回も是非お願いしたいとのことだった。

 

御子息様の願いは、生きたいと思っておられる御利用者様のお気持ちに寄り添い少しでも長く生きて欲しい…そして最期を看取ってやりたいと…そんな想いからだった。

 

その後、週末に行かせて頂き、その時は既に元々居られた施設の看取り部屋に移られていた。
施設では、点滴もなく自然な状態でお休みになっておられた。食事は水分を口に濡らす程度で、看護師さんがお声掛けされてゼリーなどを口に含ませておられた。

 

それから一日おきに行かせて頂いた。
御自身がお好きだったお花のことやお歌のことなどを聞かせて頂き、クリスチャンでもお有りだったので、聖歌のCDをかけたり聖書を読ませて頂いた。御子息様御兄弟其々来られている時にはお母様との思い出話をいっぱいなさり、とても穏やかな良いお顔をされていた。特に島根県松江市に住んで居られた時のご家族のお話に花が咲いて盛り上がる。御利用者様は笑みが溢れていた。
段々と受け答えが出来なくなって来られたが、お幸せな笑みを浮べていつも休まれていた。

 

お会いさせて頂いてから10日目の夜に御長男様からの亡くなられたとのご連絡があり、急いで施設に向かった。まだ御利用者様は温かく魂がまだ此処にある感覚を受け取った。
御子息其々が看取りの作法を交代で何回かされた。お二人とも元々お母様に愛の言葉もお声掛けされている方々であり、看取りの作法もすんなりとなさる。そんな時、風もないのにフンワリとカーテンが揺れて、まるでお母様が「ありがとう」と仰っておられる様だった。貴重な御縁に感謝 合掌

 

担当看取り士 佐野 公美
文責 柴田久美子

看取り士日記(366) 第二回 ペットの看取りを考える全国フォーラム

紫陽花の美しい季節、6月15日(日)、明石市民会館にて「第二回ペットの看取りを考える全国フォーラムIN兵庫」が開催。命が躍動する若きダンシングチームKIRARA様のステージで幕を開けた会場。

 

基調講演では菅木佑始先生が「ペットは師匠」と語られ、その動物への深い敬意と謙虚さに、会場中が納得と感動に包まれました。特別講演では藤和彦先生が命を経済や社会構造の側面から紐解き、日常の中で見失いがちな命の重みを再認識させてくださいました。
シンポジウムでは、獣医師の藤原光宏先生、星川未羽先生、看取り士の山口朋子さんが登壇され、会場が静かな涙に包まれる中、命の終わりに何ができるかを深く考える機会となりました。

 

当日は遠方からもペット看取り士の皆様がボランティアとして駆けつけ、旅立ちを見守る力が全国に広がっていることを実感いたしました。

 

思い出されるのは、ある20歳のシニア猫さんの旅立ちの場面です。ご家族は「猫らしく旅立たせてあげたい、でも、看取るのが怖い」とご相談されました。旅立ちの数日前から食事が減り、心の準備が静かに整っていく中、一本の電話。「もうダメかもしれません」とのお母様の言葉に、「感謝を伝えてください」と看取りの作法をお伝えする。

 

その後、お母様はずっとシニア猫さんに語りかけ、抱きしめられ、愛と感謝に満ちた時間が流れます。ご家族に抱かれながら、猫さんは立派に旅立たれ、ご遺体にもドライアイスは使わず、三日三晩寄り添われました。「これからは猫という種に感謝して生きていきます」と語られたお母様。
その後、再び届いたお電話では「旅立ちが、もう一本の私の軸になりました」と涙と共に話されました。

 

ペットとの別れは深い悲しみを伴いますが、そこに愛と感謝を重ねることで、新たな生きる力が生まれ共に生きることが出来る事を学ばせていただきました。ペットの看取りを考える全国フォーラム、心よりの愛と感謝と共に、大成功のうちに幕を閉じました。
たくさんの皆様とのご縁に感謝 合掌

 

担当看取り士 柴田久美子

看取り士日記(365) ~命ゆだねる~

 2/10 お看取りの依頼が入る。

 ご依頼主様はご家族ではなく長年のおつき合いのある A

 お看取りされるB様は水分、食事共にほとんど召し上がらない状況。水分も1口、2口飲まれたとの記録。排泄も少量ずつの状態。

お目にかかってご挨拶すると目を丸くしてじっと見つめられた。目に力がない。お声掛けにゆっくりうなずいたり首を横に振られたりなさる。そのゆっくりの様がとても穏やかに感じた。点滴を訪看さんがなさったが、もう入らないというお声。37℃38℃の熱が続いておられるので水分を摂って欲しいケアの方。思いが強く感じられた。

 看守りの為にボランティアエンゼルチームが入られる。

 意識低下と呼吸の変化にご依頼主様、大変不安なご様子にてお電話する。お1人で逝ってしまわないかととても不安との事。不安をゆっくりお聞きして「死はいつ、どこで、だれが、どのようにしておとずれるのかわからないものです。生きておられる間ずっとかかわって下さった事が本当に尊いですし、どんな亡くなり方をしたとしても、死ぬ瞬間までがその方の生き方ですので、例えどんな事になったとしても、その方の生き方であり逝き方ですからそのまま尊重いたしましょう。大丈夫ですよ。」とお声掛けする。フッと緊張しておられた心の糸がゆるんだご様子。きっと抱きしめられて逝かれると根拠のない思いで一杯になる。

 その3日後、呼吸が更に変化して意識も全くもどらない、とご連絡を受けお伺いする。お部屋の空気がやわらかい。関係者様皆でお側につく。夜明け前、ご依頼者様の腕にしっかりと抱かれ呼吸は荒いもののとてもとても穏やかなお顔。この世で受けた全てのエネルギーを宝石のように輝かせながら静かに息が止まった。

 亡くなられたあとも、縁者の方が替って抱きしめられる。“暖かい”と静かにつぶやきながらやさしい表情のお顔を見つめ「いいお顔されてます。こんなに穏やかないいお顔今まで見たことないと思う。」とゆっくりと看取られた。

その後、ご依頼主様のご意向により日本看取り士会のお墓にお納めする。

看取りの時間からその後まで命をゆだね、生涯の旅路に寄り添わせて頂けたことに心から感謝 合掌

担当看取り士 松山 照紀

 

文責 柴田久美子

看取り士日記(364) ~葬儀場でのお看取り~

 八重さんに初めてお目にかかったのは、旅立たれた当日で、病院から搬送された葬儀場だった。八重さんのご長男のお嫁さんである朋子さんよりご連絡をいただき、その場に向かわせて頂いてのことだった。

 

 ご相談では義母(八重さん)が入院中であること。かなり衰弱していて、食事もままならない状況であること、本人は家に帰りたいと言い続けていたこと、ご主人も八重さんの気持ちを一番に尊重してあげたいと思っておられること などなど…

そこで、ご本人様とご家族様の思いを実現するための準備について助言する。

退院させて自宅へ戻るためには、一番はかかりつけ医が必要であるため、現在の主治医に相談し、紹介状を書いていただくよう相談することをお伝えし、わたし自身が八重さんにお会いする日を決めて、その日は別れた。

 

 その4日後の夜、朋子さんからLINEメッセージがあった。「義母は今朝亡くなりました」と。本日急変し、病院から呼び出されてのことだったと。朋子さんは間に合ったが、ご主人(八重さんの長男)は間に合わずだったとのこと。「今からでも充分ご家族様でお看取りができます。お義母さまのエネルギーをしっかりと受け取れますので、伺ってお伝えさせてもよろしいでしょうか?」と尋ねた。「よろしくおねがいします」とのことで、すぐに準備をして葬儀場へと向かった。

 

 ご家族様にご挨拶ののち、八重さんと対面し自己紹介をさせていただき、改めてご家族様へ命のバトン(プラスの死生観)についてお伝えし、看取りの作法で抱いて頂き、八重さんの命のバトンを受け取っていただく。

 

 当初、しっかりと電動ドライアイスが施されていたが、ご家族様へ説明し了承を得て、外させていただいてからのお看取りとなる。

 

 触れ始めたとき、胸・腹部は冷えていたが、背部は温かい。八重さんの息子さんは「亡くなると触れられなくなると聞いていたから…まだ温かい母に触れることができて本当によかった」と、涙ながらに話された。

 

 後日、初七日訪問をさせていただき、その後のご様子をうかがう。

「最期、温かくお別れができて本当によかった」とのお言葉をいただき、八重さんとのご縁を頂けたことに感謝 合掌

担当看取り士 村橋 征依

文責 柴田久美子

看取り士日記(363) ~まるちゃん、ありがとう~

 

 紅葉が美しい11月の頃、霊園スタッフの知人から1本のお電話を頂く。

 「妹家族の飼っている4歳のポメラニアンの犬(まるちゃん)が、家でご飯を誤嚥し窒息死してしまいました。このままだと妹家族が、うつになってしまうかも。助けてくれませんか?」とご依頼を頂く。

 
 夜、お家に伺うと何とも言えない空気の中、ベッドに横たわっているまるちゃん
の姿。最初にまるちゃんの傍にいき声をかける。沈痛なご家族様に、看取り士の死生観、命のバトンのお話をお伝えする。誰も触れていないご家族様。最初にまるちゃんを抱きしめ、すぐ妹様の膝の上で抱っこをして頂くと、「まるちゃん、ごめんね。」と泣きながら声をかけられる。まるちゃんから伝わってくるのは「お母さんは、悪くないよ。責めないで」と。


 離れていたお子様達にも傍で触れて声をかけて頂く。涙も止まっていたご家族
が、まるちゃん、と泣きながら「まるちゃん、ありがとね、楽しかったよ。」と言葉が少しずつ変わる。


 近所に住む姉妹のお母様も駆けつけ「まるちゃんは、どうして!」と悲しみでい
っぱいのお母様に深い愛情を感じながら、お母様にも抱いていただく。黙って見守っていた妹様の旦那様は「まるちゃん、ありがとね。」と優しく抱いてくださる。まるちゃんのお顔は、安心した穏やかな顔に変わる。自分のせいでは、と責めていた妹様も看取りの作法、初七日、四十九日の過ごし方を知り気持ちが少し和らいでいく。


 次の日、ご家族様は埼玉まで用事があり、まるちゃんは
1匹お留守番になると。

 そんな中、臨終後の大切さをお伝えすると、次の日もまるちゃんも一緒に連れていったご家族様。

四十九日訪問に伺うと、泣きながらも笑顔の妹様。「埼玉での道中、ずっと抱っこしてまるちゃんと対話した時間のおかげで、次の日に写真まで整理でき悲しいけれど、不思議と受け入れています。火葬まで、皆で触れて抱っこをしたら硬直していた体が、最期まで柔らかく抱きしめて送ることができ、いいお看取りができました。」とどん底だった状況から、まるちゃんを想いながら前を少しずつ向いているご家族様。まるちゃんはご家族様とこれからもずっと一緒。

たくさんの無償の愛を渡してくれたまるちゃんとご家族様に感謝 合掌

担当ペット看取り士 山口 朋子

文責 柴田久美子



看取り士日記(362) ~最高のラスト~

 父には「最高のラストを飾ってあげたい」

 それは、数年前にお母様を看取った一人っ子の息子様からのご連絡だった。「父は小脳多系統萎縮症という神経系の難病でかかりつけ医からは、もう長くないでしょうと言われています。今まで入院していたのですが、父の希望は家に帰ることでした。医師からは、自宅で過ごすのはとても難しい状態です。もし自宅で過ごすなら人が寄り添っていない状態を1時間以上作ってはならない」と。

 息子様はこの「1時間ルール」を守るため、毎日、昼間も夜間も看護師かヘルパーに入ってもえる事業所を探された。だが全ての枠を埋めることはとても難しく、自分の仕事のスケジュールを調整しながらの対応となった。

 

 「母が亡くなった時、あまりにも早かった。息子として、もっとたくさん色々なことをしてあげたかった気持ちがそこに残っていました。だから父の時はできることを全部してあげたい。」と息子様の強い想いを感じた。

 

 訪問する日を迎え、はじめてお父様にお会いしたとき、すでに病気の影響で嚥下はできなく、身体のいろいろなところの筋肉が硬くなり始めていた。そんな中、話かける声には反応をみせてくださったり、握った手を握り返して下さる。受け入れてもらえたことに感謝の気持ちが込み上げてきた。

 

 2日後、お孫様のダンス発表会、会場に向かう前に御家族みんなでおじいちゃんの所へ寄って、「これから発表会に行ってくるね」と伝えられる。会場にいた息子様が看護師さんから亡くなった知らせを受け取ったのは丁度、お孫様の演目が終わった時だった。

 

 ご家族の皆様が集まり、お孫様たちはベットの上のおじいちゃんに抱きついたり、添い寝したりといつもと変わりない距離感でおしゃべりされる。

 みんなの愛がお部屋を暖かく包み、息子様の膝枕で眠るお父様の表情は穏やかで、にっこりと笑っているようだった。御縁を頂き感謝 合掌

担当看取り士 清水  和土 

文責 柴田 久美子

看取り士日記(361) ~10年の時を越えて自宅へ~

施設で暮らす母に寄り添ってほしいと海外で暮らすご長男さまからのご依頼。なぜ看取り士派遣を希望されるのかを伺うと「父が亡くなった時のことがずっと悔やまれている。母の時に同じ思いはしたくない。」とのこと。

 

施設へお訪ねすると、10年以上前にご夫妻で入所され、先に旅立たれたご主人のお話を聞かせてくださった。「優しい二人の息子がいて幸せだ」と、穏やかな表情で話された。

 

その後、発熱から入院され、一日も早いご回復をみんなで祈っていたが、「今朝、母が亡くなりました。クリニックには霊安室がないので、葬儀社に移されます」とのこと。

ご相談を受けた際にご長男さまに伺っていた気持ちが頭をよぎり「ご自宅に帰る選択肢はなくてよろしいのでしょうか」とお尋ねしたところ、ご兄弟で話し合われ「母は自宅へ帰ることになりました」と連絡を受け取った。

 

お母さま、どんなにか嬉しい事だろうと思いながら、急ぎ病院へ駆けつけると、お母さまは1人で寝ていらっしゃった。葬儀社さんと弟さまのお迎えを待ちながら触れさせていただいた。

ご自宅へ戻ると、そこは10年以上時が止まっていたかのようにお母さまがお暮らし当時のままだった。その夜は弟さまがお母さまを独占して二人きりで一晩過ごされた。

 

翌日伺うと昨夜とは一変、そのお部屋は大きな窓に庭木の緑が明るいお部屋で、小春日和の穏やかで心地よい風がカーテンを揺らしていた。「ここよ ここが私の家 ここに帰ってきたかったの」と、お母さまの声が聞こえる。

翌日、帰国されたご長男さまに、プラスの死生観をお伝えし、お母さまを抱いていただく。そしてその夜は、ご長男さまがお母さまを独占して一晩を過ごされた。

最期は二人の優しい息子さまとご自宅で過ごされた時間、お母さまの願いが叶ったことに安堵する。

 

ご縁をいただいたことに心から感謝 合掌

担当看取り士 小日向美千代 

文責 柴田 久美子

看取り士日記(360) ~ガッツポーズの長女様~

秋の気配を感じる9月、薬剤師協会様での講演をした次の日、「私の母はターミナルで施設にいます」とご相談のお電話。

 

1か月後の朝、「母が施設で亡くなりました。来ていただけませんか?」とご依頼を頂く。

施設より葬儀社へ搬送されたお母様。伺うとストレッチャーに乗せられたままのお母様と不安そうなご家族様。

その日は和室が一杯。「看取りの作法ができるスペースはなく、夕方17時には冷蔵安置になります」とのこと。葬儀社様、喪主様と話し合いに。「別会場なら24時間冷蔵せず安置できます」と移動の話を勧める中、「部屋があれば作法はできますか?」と妹様。この一言で状況が変わり、お母様を再び葬儀社から家に搬送していただく。

 

夕方、お家に伺うとお孫様10人、ひ孫様17人の大家族が駆けつけ、お母様を遠まきに囲んで、ずらりと座っていらっしゃった。

初めて看取り士なんて聞くご家族様。子供達にもわかるように、プラスの死生観をお伝えする。皆でお母様に触れながら「まだ温かいんだね」と。

ご姉妹から看取りの作法をお伝えする。長女様は、涙いっぱいに「看取り士さんいなかったら、今頃どうなっていたんだろう」と。中学生のひ孫様達も「おばあちゃん、ありがとう」と泣きながら膝枕をしたまま離れられない。まだ2歳のひ孫様も、皆の真似をして、小さな両手でおばあちゃんの身体に触れている。

 

何世代にも繋がれていくお母様の命のバトン。お母様は笑っているかのような穏やかな優しいお顔に変わる。廊下で小さくガッツポーズされた長女様

「一番、願っていた最期になりました。全ては母の計画通り。家に帰れて喜んでくれたかと。ドタバタな状況でしたが、看取り士さんお見事でした。最期に親孝行ができ、本当に運命の出会いでした。」と。末の妹様は「母が本当に家に帰りたかったことが、よくわかりました。」と深々と頭をさげられた。

 

初七日訪問でお伺いすると、母親をちゃんと看取れたというご姉妹の晴れ晴れとした笑顔。

大家族の絆を再び繋いだ母の大きな愛を教えてくださったお母様に感謝 合掌

担当看取り士 山口 朋子

文責 柴田久美子

看取り士日記(359) ~父もいよいよ~

10月中頃、先日お母様のお看取りをさせていただいた長女様より連絡が入る。「父もいよいよ・・・病院で治療しつくして、退院して自宅で看取る事にしました。前回の様にお世話になりたいと思います。」

お母様の時と全く同じケアマネ、訪問看護ステーション、ヘルパー、そして看取り士でお父様(90)に寄り添わせていただく。

 

6月、お母様のお看取りの時にはまだまだお元気で、看取りの作法もしていただき、旅立たれたお母様と添い寝もしてくださるほどの愛妻家。

 

長女様おひとりでの介護。長女様は自宅でお仕事されているので、つきっきりは難しいため、エンゼルチームと暮らしサポートサービスを併用して寄り添わせていただく事となった。初回訪問翌日、朝から「無理とは思いますが、本日午後3時間くらいお願いできませんか?」と長女様より連絡。「朝から苦しがってうまく数値も取れなくて、今看護師さんに来てもらっています。看護師さん達が帰ってしまい一人になったら不安なので一緒にいてほしい」との事。「今から準備して伺います。呼吸合わせしてください。」とお伝えして向かう。

 

呼吸が変わったので、しっかりと看取りの作法をしていただく。おじさま(お父様弟)、姪っ子様が来て下さり、しっかりとふれてたくさんお声かけして下さる。そこへ訪問看護の方が定期訪問で来られ、先生に確認の電話を入れて点滴の指示をうけたが、準備している間に「もう息をしていないかも」と長女様。もう一度看護師が確認して、先生に連絡してエンゼルケアに入る。

ゴルフがお好きだったお父様におばさまがゴルフの時のブレザー姿を選ばれた。とてもカッコイイお姿。

 

夜、帰宅された次女様もゆっくりと2時間半看取りの作法をしてくださった。

誰にも告げず、自分が旅立ったらどうしたいかを絵本の最後のページに付箋で貼って伝えてくれたお父様。「こっそりと貼っているところがいたずらっ子みたいで父らしい」と長女様。

 

しっかりと皆様に命のバトンを繋いで旅立たれたお父様。その時に立ち会わせていただき、またたくさんの学びをくださったことに感謝 合掌

担当看取り士 多田知恵子 

文責 柴田久美子

看取り士日記(358) ~おじいちゃん、ありがとう~

少しずつ秋の気配を感じる9月の中頃、看護師でもある娘様から「認知症で入院中の父親が嚥下障害で食事ができずターミナル的な状況です。」と相談を頂く。「父の最期は病院ではなく家に帰してあげたい…ただ在宅での看取り経験のない家族は不安でいっぱい。看取り士さんにサポートしてもらい、命のバトンを受け取る体験を家族にもさせたい」とご依頼を頂く。

 

病院から在宅への手筈を整えられ3年ぶりに我が家に帰られたお父様。病院では頑なに曲げていた両腕の拘縮も自宅へ戻られると自然と手がほどけていく様子に驚かれた娘様。そんなお父様の変化に「家に連れてきて本当によかった」と皆で話された。

 

初回訪問に伺うと、昔行ったお遍路さんのお札や自分で描いた掛け軸など、お父様の生きてきた証がいっぱいの部屋で、発語はできなくともリラックスされている表情。訪問看護、入浴の方々も関わり1日1日を大切に過ごされた。

 

訪問から2日後の夜、娘様より「父の呼吸が止まってます。」と連絡を頂く。かけつけるとドクターの診断も終わり、眠っているかのようなお父様。お話を伺い「お父さんビールが好きだったのでは?」との以前の話から最期にビールを口に含ませてあげた娘様。それからまもなくして呼吸が止まっていた。もっと早くあげてたらよかったけれど、これもお父さんらしいね。と

 

お家に伺ってから5分もすると汗がでてくる程のお父様の熱いエネルギーが広がる中、お父様を囲み順番に作法をして頂く。皆で体に触れて両手を一斉に広げると皆の手が真っ赤になり驚かれるご家族様。これがお父様の魂のエネルギーを受けとること。思い出話をしていくうちに穏やかな空気に変わっていく。深夜23時、遠方のお孫さんが駆けつけてこられ「おじいちゃん…」と涙がとまらない。「背中の下、温かいから、触ってごらん。」とお母様。「本当だ、温かい…」と自然と膝枕で作法をし「おじいちゃん、ありがとう…」と泣きながら慈しむように見つめるお孫様。その後、朝までお孫様、お父様、娘様3人で川の字で眠られた。

 

3年ぶりに帰られた自宅での看取りは、お父様とご家族様を再び繋ぎなおした家

族の時間。深い家族の絆を教えてくださったお父様に感謝 合掌

担当看取り士 山口 朋子

文責 柴田久美子

 

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