看取り士日記(373)~小さな命に教えられる~
「ペットカフェ看取り〜と」を開催する。
集ってくださる皆様のペット愛は、いつも私の想像を超えている。わが子以上と言ってもよいほどの深い愛。その愛の深さゆえに訪れる、言葉にならないほどのペットロス。
私自身、愛するマルチーズの健太くんを見送って二年が過ぎた。けれど、心の奥にはぽっかりと穴があいていた。散歩道で同じ犬種を見かけるだけで、胸が締めつけられ、気づけば涙があふれている日もあった。時間が解決するとは、必ずしも言えないのだと知った。
そんな私を少しずつ癒してくれたのが、ペットカフェ看取り〜とで出会う皆様のやさしさだった。ただ、黙って聞いてくださる真心。否定も評価もなく、そっと受けとめてくださるぬくもり。
精神科医の清水加奈子先生がおっしゃった言葉がある。
「言えるは癒える。話すは手放す。」
胸の奥に閉じ込めていた想いを、言葉にして外へ出すとき、凍っていた悲しみが少しずつ溶けていく。人は誰もが不完全。それでも、そんな不完全な私を、限りなく、まっすぐに愛してくれた存在が健太くんだった。
無条件の愛とは何かを、私は一匹の小さな命から教えてもらった。
終了後、健太くんの大きな愛が私の背中を温かく包んでくれているのが伝わった。
だからこそ、今度は私が支える番。ペットロスの只中にいる方々の力になりたい。同じ涙を流した者として、ただ隣に座り、静かに耳を傾けたい。
ペットカフェ看取り〜とを、また開催しようと心に決めた。
愛した証の涙が、やがて感謝の光へと変わっていく場を、これからも大切に育てていきたい。出逢った方々に感謝、合掌
文責 柴田久美子
看取り士日記(372)~全ての事に意味がある~
利用者さまの娘様から夜間の緊急連絡。看取り期を脱して落ち着いていらっしゃるお母さまの身に何か?
とザワザワした思いでお話を伺うと、娘様ご自身が体調を崩されどうにもならないと。
すぐに向かうから、救急車の手配をするように伝え急ぎご自宅に向かった。
お母様に寄り添う予定で到着すると、体調を崩された娘様の救急搬送へ同行することになった。
同乗し処置を見守り深夜に帰宅。
「どうにもならない」と思った時に看取り士を思い出して頂いた事に感謝する。もう一人の家族としてこんな嬉しい事は無い。
看取り士とボランティアエンゼルの活用を伝え、ケアマネージャーさんにも一報を入れた。
その週末、海風の強い会場に東京の仲間と駆けつける。
「会長を応援に」その一心で中央の席に並び、入場を待っていたその時、「柴田久美子会長はご体調不良のため欠席」とのアナウンス。
驚きと心配で胸がざわめく。急性虫垂炎で緊急手術の診断。本部が付き添いを手配したと連絡を受け安堵した。
が二日後の新春特別合同講座を会長不在で開催するという現実に動揺と責任を担う重圧がのしかかってきた
看取り学上級で学んだ大好きな直覚――「すべてのことに偶然はなく、意味のある答えがある」
何度も何度もつぶやいて心に落とし込んだ。
その言葉を胸に、講師三人で心を合わせる。お寺の会場で受講生様に事情をお伝えし、お詫びとともに同じ言葉を分かち合うと、沈黙の微笑みが広がり、会場は一体感に包まれた。
これほどまでに愛に満ちた講座を体験させていただいたことに感謝でいっぱいになった。
出来事の一つ一つに、意味のある答えがあると教えて頂くご縁であった。感謝、合掌
担当看取り士 小日向美千代
文責 柴田久美子
看取り士日記(371)~戦争体験から学ぶ~
「おひとり様みまもりサービス」の利用者I様は、90歳の一人暮らしの女性。
80年前、両親や兄弟とともに広島から中国・吉林省へ渡った、いわゆる「残留孤児」のお一人。
終戦の翌年、父親が亡くなったことを第三者によって知らされる。マイナス30度という極寒の中、栄養失調の末に亡くなったという。
その後、生まれたばかりの弟は、母乳が出なくなった母親に抱かれたまま亡くなった。
兄は朝鮮戦争の戦場へ送られ、行方不明となった。さらに、二人の弟も中国人の里親にもらわれ、二度と会うことはできなかった。
母親が亡くなった時でさえ、I様は「悲しいという気持ちもなく、心が空っぽになって、何も感じなかった」と語られている。当時は、毎日のように誰かが亡くなる時代であり、泣くことも、嘆くこともできない状況だったという。
1970年代、ようやく日本へ帰国することができたI様は、結婚され、安定した生活を送るようになった。しかし結婚後もお子さんを授かることはなかった。現在は、17年前に亡くなられた旦那様が建ててくれた家で、ひっそりと暮らしておられる。
戦争、過労、そして幾度もの喪失―。
それらを背負いながら生きてこられたI様が、いつも微笑みながら「来てくれてありがとう、顔を見ただけで安心した」と、口癖のように言われる。
平和な時代に生まれた私は、戦時下の「死」を本当の意味で理解することはできない。
しかし、少女だったI様の潜在意識の奥深くに、両親や家族の愛に対する渇望が、厚い氷のように封印されているのではないかと感じている。
だからこそ、私の看取りの目標は明確である。
I様が最期を迎えるその時に、「お母さんの温かみ」を感じられる時間をつくること。
そして、I様がいつも口にされる「もう二度とあんな戦争を起こしてはならない」という言葉を、次の世代へ伝えていきたいと決心した。I様のお言葉に感謝、合掌
担当看取り士 下岡郁
文責 柴田久美子
看取り士日記(370)~看取り士はもう一人の家族~
金木犀が香る9月下旬の夕暮れ。高島屋の警備の方から「O様の具合が悪くなり小川さんに電話をするようにと頼まれました」と連絡。
O様とのご縁は2年前に始まる。今年2月、自宅で倒れ救急搬送され、3度の大手術。8月中旬に退院され、一人暮らしなので9月に「暮らしサポートサービス」の利用を始めたばかりだった。
倒れて三日後、病院では「知人の面会不可」と言われましたが「看取り士」と名乗るとICUへ案内。「看取り士の小川さんが来られましたが、わかりますか」と看護師さんが声をかけるとO様は頷かれ、「家の鍵を渡すので、保険証を持ってきてもらっていいですか」と言われる。その言葉に責任と事の重大さを感じたのを今も覚えている。その後、転院が決まった矢先に再手術。さらに再々手術が必要になり、私は手術の承諾書にサインをすることになり、回復を祈ることしかできませんでした。無事に手術は成功し、8月に退院。しかし、一人暮らしの不安は続いていた。
高島屋に駆けつけると、O様は「快気祝いを買いに来た」と「快気祝いは、まだ早いですよ」と無事を確認して安堵する。
その後「おひとり様みまもりサービス」と「看取りサービス(蘭)」を契約。枕元の「見守りホン」が安心につながっている。
契約の際、看取り士は4つの質問をする。
①どこで暮らしたいですか ②誰と暮らしたいですか
③医療はどうされますか ④お困りごとは何ですか
私は4つ目に「これからやりたいことはなんですか」と尋ねた。「音楽会をやりたい」と即答されたO様のため、知人のハープ奏者にお願いし11月5日「O様を元気にする会」を開催。柔らかなハープの音色に包まれて、O様も参加者の皆様も笑顔に。
看取り士は、旅立ちのときに寄り添うだけでなく「いのちを生ききる」その日まで寄り添う、もう一人の家族。ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、ご近所の方々。多くの方の支えの中で、O様が自分らしく生きる姿を見せてくださったことに、心より感謝、合掌
担当看取り士 小川みさ子
文責 柴田久美子
看取り士日記(369)~全国フォーラムの祈り~
岡山大学医学部キャンパス内の広々としたホールで、第12回「日本の看取りを考える全国フォーラム」が開催された。
オープニングは日舞「助六由縁江戸桜」。舞う扇の音が静かに響き、命の舞台の幕が上がる。
今回のフォーラムは、私にとって特別な大会となった。
13年前、離島の「看取りの家」での出来事をきっかけに人生の大きな壁の前に立った私に、東京大学名誉教授・上野千鶴子先生が声をかけてくださった。
「あなたは看取りの家の学びを“看取り学”として体系化し、本土に広めなさい。2040年、この国では47万人もの“死に場所難民”が生まれる。そのために尽力しなさい。」
その言葉に背中を押され、私は看取り学を立ち上げた。
上野先生が今回の基調講演で登壇された。演題は「住み慣れた地域で最後まで」。
ご自身も「おひとり様」の後期高齢者として、長年の研究データをもとに、高齢者の本音と介護保険制度の危機を語られた。
静かな言葉の一つひとつに、社会の土台を支える慈しみがあった。
特別講演では、経済産業研究所コンサルティングフェロー・藤和彦氏が「多死社会の到来と看取り文化の復活」をテーマに、支え合う社会の再構築の必要性を語られた。
続くシンポジウムでは、看護学生も登壇し、「愛されていると感じる旅立ち」をめぐって討論が交わされた。
理想の最期は人それぞれであり、誰もが“自分らしく生き抜く旅立ち”を望んでいる。
そこに看取り士会が掲げる「最期くらい、わがままに」という言葉の意味が深く重なる。
静けさと情熱が交差したこの日、会場全体が“命を見つめる祈りの場”となった。来年の全国フォーラムは岐阜市で開催。池川明先生をお招きし、新たな命の語らいが始まる。
ご参加頂いた皆様に感謝、合掌
文責 柴田久美子
看取り士日記(368)~ここに居て~
新緑が眩しい5月半ば、東京の看取り士の次女様から「実家の父の介護をしている母をサポートしてほしい。父は長くても秋頃までと聞かされている」という突然のご依頼。
お父様お母様にご挨拶をさせていただき、仲の良いお二人が共に歩まれ、残された時を穏やかに過ごしたいという願いが優しい笑顔から感じられた。7月契約予定となり、また伺うことをお約束する。
6/4「お父様が急変した」連絡を頂き6/5訪問する。
お父様は鎮静剤がかかり、静かに眠られている。ベッド横の壁には、思い出の家族写真が一面に飾られており、お別れを大事にしていることが伝わってくる。
次女様から「父にはいっぱい心配をかけてきたので最期に感謝の気持ちを伝えたい」とお聞きし、二人の娘様お母様に死生観、命のバトンタッチ、看取りのお作法を説明させて頂く。
二人の娘様は看取りの経験がプロとしておありになり、和やかにご理解いただいた。
お母様も娘様が帰られ、安心されている様子。急変のリスクが高いので、いつでもご連絡くださいと伝え、失礼する。
訪問3時間後「今、父の呼吸が止まりました」と連絡がはいり、看取りのお作法をしていただく事をお伝えし、急いで駆け付ける。
「呼吸合わせ、お看取りの作法は終わりました」と看取り士である次女様より伝えられる。二人の娘様の思いが伝わり、お父様は幸せそうな穏やかなお顔をされておられた。
お孫様も一緒にお父様のベッドを囲み、思い出話をする。昨夜もお父様と川の字に布団を敷き、いっぱい話をしたとの事。時折笑い声があり、和やかな時間を過ごし、お父様ご自身でプロデュースされた潔いお別れを皆様確信される。
お母様の「ここに居て下さい」とのお言葉に、短い関わりにも関わらず頼りにして頂けたこと、寄り添うことの本当の意味を実感させて頂く。ご家族に面倒をかけないように最期まで考えてお別れなさったお父様の潔さと家族を思いやる深い愛を教えていただいた。このご縁に感謝、合掌
担当看取り士 鍋島美由紀
文責 柴田久美子
看取り士日記(367)~聖歌に包まれて~
節分が過ぎたある日、御依頼者様とそのお母様のM様に入院中の病院にてお会いする。発熱で入院されて点滴をしばらくされていたが、意識が回復してきて点滴も外せるようになり、もうすぐ退院となりお会いした。お声掛けにも、明るくお返事して下さった。
御依頼者様(御長男)もお母様にお声掛けされていて、愛いっぱいの方だった。
お父様の看取りのご依頼が約8年ほど前にあったとの事だった。その当時の事があり今回も是非お願いしたいとのことだった。
御子息様の願いは、生きたいと思っておられる御利用者様のお気持ちに寄り添い少しでも長く生きて欲しい…そして最期を看取ってやりたいと…そんな想いからだった。
その後、週末に行かせて頂き、その時は既に元々居られた施設の看取り部屋に移られていた。
施設では、点滴もなく自然な状態でお休みになっておられた。食事は水分を口に濡らす程度で、看護師さんがお声掛けされてゼリーなどを口に含ませておられた。
それから一日おきに行かせて頂いた。
御自身がお好きだったお花のことやお歌のことなどを聞かせて頂き、クリスチャンでもお有りだったので、聖歌のCDをかけたり聖書を読ませて頂いた。御子息様御兄弟其々来られている時にはお母様との思い出話をいっぱいなさり、とても穏やかな良いお顔をされていた。特に島根県松江市に住んで居られた時のご家族のお話に花が咲いて盛り上がる。御利用者様は笑みが溢れていた。
段々と受け答えが出来なくなって来られたが、お幸せな笑みを浮べていつも休まれていた。
お会いさせて頂いてから10日目の夜に御長男様からの亡くなられたとのご連絡があり、急いで施設に向かった。まだ御利用者様は温かく魂がまだ此処にある感覚を受け取った。
御子息其々が看取りの作法を交代で何回かされた。お二人とも元々お母様に愛の言葉もお声掛けされている方々であり、看取りの作法もすんなりとなさる。そんな時、風もないのにフンワリとカーテンが揺れて、まるでお母様が「ありがとう」と仰っておられる様だった。貴重な御縁に感謝 合掌
担当看取り士 佐野 公美
文責 柴田久美子
看取り士日記(366) 第二回 ペットの看取りを考える全国フォーラム
紫陽花の美しい季節、6月15日(日)、明石市民会館にて「第二回ペットの看取りを考える全国フォーラムIN兵庫」が開催。命が躍動する若きダンシングチームKIRARA様のステージで幕を開けた会場。
基調講演では菅木佑始先生が「ペットは師匠」と語られ、その動物への深い敬意と謙虚さに、会場中が納得と感動に包まれました。特別講演では藤和彦先生が命を経済や社会構造の側面から紐解き、日常の中で見失いがちな命の重みを再認識させてくださいました。
シンポジウムでは、獣医師の藤原光宏先生、星川未羽先生、看取り士の山口朋子さんが登壇され、会場が静かな涙に包まれる中、命の終わりに何ができるかを深く考える機会となりました。
当日は遠方からもペット看取り士の皆様がボランティアとして駆けつけ、旅立ちを見守る力が全国に広がっていることを実感いたしました。
思い出されるのは、ある20歳のシニア猫さんの旅立ちの場面です。ご家族は「猫らしく旅立たせてあげたい、でも、看取るのが怖い」とご相談されました。旅立ちの数日前から食事が減り、心の準備が静かに整っていく中、一本の電話。「もうダメかもしれません」とのお母様の言葉に、「感謝を伝えてください」と看取りの作法をお伝えする。
その後、お母様はずっとシニア猫さんに語りかけ、抱きしめられ、愛と感謝に満ちた時間が流れます。ご家族に抱かれながら、猫さんは立派に旅立たれ、ご遺体にもドライアイスは使わず、三日三晩寄り添われました。「これからは猫という種に感謝して生きていきます」と語られたお母様。
その後、再び届いたお電話では「旅立ちが、もう一本の私の軸になりました」と涙と共に話されました。
ペットとの別れは深い悲しみを伴いますが、そこに愛と感謝を重ねることで、新たな生きる力が生まれ共に生きることが出来る事を学ばせていただきました。ペットの看取りを考える全国フォーラム、心よりの愛と感謝と共に、大成功のうちに幕を閉じました。
たくさんの皆様とのご縁に感謝 合掌
担当看取り士 柴田久美子
看取り士日記(365) ~命ゆだねる~
2/10 お看取りの依頼が入る。
ご依頼主様はご家族ではなく長年のおつき合いのある A様
お看取りされるB様は水分、食事共にほとんど召し上がらない状況。水分も1口、2口飲まれたとの記録。排泄も少量ずつの状態。
お目にかかってご挨拶すると目を丸くしてじっと見つめられた。目に力がない。お声掛けにゆっくりうなずいたり首を横に振られたりなさる。そのゆっくりの様がとても穏やかに感じた。点滴を訪看さんがなさったが、もう入らないというお声。37℃~38℃の熱が続いておられるので水分を摂って欲しいケアの方。思いが強く感じられた。
看守りの為にボランティアエンゼルチームが入られる。
意識低下と呼吸の変化にご依頼主様、大変不安なご様子にてお電話する。お1人で逝ってしまわないかととても不安との事。不安をゆっくりお聞きして「死はいつ、どこで、だれが、どのようにしておとずれるのかわからないものです。生きておられる間ずっとかかわって下さった事が本当に尊いですし、どんな亡くなり方をしたとしても、死ぬ瞬間までがその方の生き方ですので、例えどんな事になったとしても、その方の生き方であり逝き方ですからそのまま尊重いたしましょう。大丈夫ですよ。」とお声掛けする。フッと緊張しておられた心の糸がゆるんだご様子。きっと抱きしめられて逝かれると根拠のない思いで一杯になる。
その3日後、呼吸が更に変化して意識も全くもどらない、とご連絡を受けお伺いする。お部屋の空気がやわらかい。関係者様皆でお側につく。夜明け前、ご依頼者様の腕にしっかりと抱かれ呼吸は荒いもののとてもとても穏やかなお顔。この世で受けた全てのエネルギーを宝石のように輝かせながら静かに息が止まった。
亡くなられたあとも、縁者の方が替って抱きしめられる。“暖かい”と静かにつぶやきながらやさしい表情のお顔を見つめ「いいお顔されてます。こんなに穏やかないいお顔今まで見たことないと思う。」とゆっくりと看取られた。
その後、ご依頼主様のご意向により日本看取り士会のお墓にお納めする。
看取りの時間からその後まで命をゆだね、生涯の旅路に寄り添わせて頂けたことに心から感謝 合掌
担当看取り士 松山 照紀
文責 柴田久美子
看取り士日記(361) ~10年の時を越えて自宅へ~
施設で暮らす母に寄り添ってほしいと海外で暮らすご長男さまからのご依頼。なぜ看取り士派遣を希望されるのかを伺うと「父が亡くなった時のことがずっと悔やまれている。母の時に同じ思いはしたくない。」とのこと。
施設へお訪ねすると、10年以上前にご夫妻で入所され、先に旅立たれたご主人のお話を聞かせてくださった。「優しい二人の息子がいて幸せだ」と、穏やかな表情で話された。
その後、発熱から入院され、一日も早いご回復をみんなで祈っていたが、「今朝、母が亡くなりました。クリニックには霊安室がないので、葬儀社に移されます」とのこと。
ご相談を受けた際にご長男さまに伺っていた気持ちが頭をよぎり「ご自宅に帰る選択肢はなくてよろしいのでしょうか」とお尋ねしたところ、ご兄弟で話し合われ「母は自宅へ帰ることになりました」と連絡を受け取った。
お母さま、どんなにか嬉しい事だろうと思いながら、急ぎ病院へ駆けつけると、お母さまは1人で寝ていらっしゃった。葬儀社さんと弟さまのお迎えを待ちながら触れさせていただいた。
ご自宅へ戻ると、そこは10年以上時が止まっていたかのようにお母さまがお暮らし当時のままだった。その夜は弟さまがお母さまを独占して二人きりで一晩過ごされた。
翌日伺うと昨夜とは一変、そのお部屋は大きな窓に庭木の緑が明るいお部屋で、小春日和の穏やかで心地よい風がカーテンを揺らしていた。「ここよ ここが私の家 ここに帰ってきたかったの」と、お母さまの声が聞こえる。
翌日、帰国されたご長男さまに、プラスの死生観をお伝えし、お母さまを抱いていただく。そしてその夜は、ご長男さまがお母さまを独占して一晩を過ごされた。
最期は二人の優しい息子さまとご自宅で過ごされた時間、お母さまの願いが叶ったことに安堵する。
ご縁をいただいたことに心から感謝 合掌
担当看取り士 小日向美千代
文責 柴田 久美子
看取り士日記(369)~全国フォーラムの祈り~
岡山大学医学部キャンパス内の広々としたホールで、第12回「日本の看取りを考える全国フォーラム」が開催された。
オープニングは日舞「助六由縁江戸桜」。舞う扇の音が静かに響き、命の舞台の幕が上がる。
今回のフォーラムは、私にとって特別な大会となった。
13年前、離島の「看取りの家」での出来事をきっかけに人生の大きな壁の前に立った私に、東京大学名誉教授・上野千鶴子先生が声をかけてくださった。
「あなたは看取りの家の学びを“看取り学”として体系化し、本土に広めなさい。2040年、この国では47万人もの“死に場所難民”が生まれる。そのために尽力しなさい。」
その言葉に背中を押され、私は看取り学を立ち上げた。
上野先生が今回の基調講演で登壇された。演題は「住み慣れた地域で最後まで」。
ご自身も「おひとり様」の後期高齢者として、長年の研究データをもとに、高齢者の本音と介護保険制度の危機を語られた。
静かな言葉の一つひとつに、社会の土台を支える慈しみがあった。
特別講演では、経済産業研究所コンサルティングフェロー・藤和彦氏が「多死社会の到来と看取り文化の復活」をテーマに、支え合う社会の再構築の必要性を語られた。
続くシンポジウムでは、看護学生も登壇し、「愛されていると感じる旅立ち」をめぐって討論が交わされた。
理想の最期は人それぞれであり、誰もが“自分らしく生き抜く旅立ち”を望んでいる。
そこに看取り士会が掲げる「最期くらい、わがままに」という言葉の意味が深く重なる。
静けさと情熱が交差したこの日、会場全体が“命を見つめる祈りの場”となった。来年の全国フォーラムは岐阜市で開催。池川明先生をお招きし、新たな命の語らいが始まる。
ご参加頂いた皆様に感謝、合掌
文責 柴田久美子
看取り士日記(368)~ここに居て~
新緑が眩しい5月半ば、東京の看取り士の次女様から「実家の父の介護をしている母をサポートしてほしい。父は長くても秋頃までと聞かされている」という突然のご依頼。
お父様お母様にご挨拶をさせていただき、仲の良いお二人が共に歩まれ、残された時を穏やかに過ごしたいという願いが優しい笑顔から感じられた。7月契約予定となり、また伺うことをお約束する。
6/4「お父様が急変した」連絡を頂き6/5訪問する。
お父様は鎮静剤がかかり、静かに眠られている。ベッド横の壁には、思い出の家族写真が一面に飾られており、お別れを大事にしていることが伝わってくる。
次女様から「父にはいっぱい心配をかけてきたので最期に感謝の気持ちを伝えたい」とお聞きし、二人の娘様お母様に死生観、命のバトンタッチ、看取りのお作法を説明させて頂く。
二人の娘様は看取りの経験がプロとしておありになり、和やかにご理解いただいた。
お母様も娘様が帰られ、安心されている様子。急変のリスクが高いので、いつでもご連絡くださいと伝え、失礼する。
訪問3時間後「今、父の呼吸が止まりました」と連絡がはいり、看取りのお作法をしていただく事をお伝えし、急いで駆け付ける。
「呼吸合わせ、お看取りの作法は終わりました」と看取り士である次女様より伝えられる。二人の娘様の思いが伝わり、お父様は幸せそうな穏やかなお顔をされておられた。
お孫様も一緒にお父様のベッドを囲み、思い出話をする。昨夜もお父様と川の字に布団を敷き、いっぱい話をしたとの事。時折笑い声があり、和やかな時間を過ごし、お父様ご自身でプロデュースされた潔いお別れを皆様確信される。
お母様の「ここに居て下さい」とのお言葉に、短い関わりにも関わらず頼りにして頂けたこと、寄り添うことの本当の意味を実感させて頂く。ご家族に面倒をかけないように最期まで考えてお別れなさったお父様の潔さと家族を思いやる深い愛を教えていただいた。このご縁に感謝、合掌
担当看取り士 鍋島美由紀
文責 柴田久美子
看取り士日記(367)~聖歌に包まれて~
節分が過ぎたある日、御依頼者様とそのお母様のM様に入院中の病院にてお会いする。発熱で入院されて点滴をしばらくされていたが、意識が回復してきて点滴も外せるようになり、もうすぐ退院となりお会いした。お声掛けにも、明るくお返事して下さった。
御依頼者様(御長男)もお母様にお声掛けされていて、愛いっぱいの方だった。
お父様の看取りのご依頼が約8年ほど前にあったとの事だった。その当時の事があり今回も是非お願いしたいとのことだった。
御子息様の願いは、生きたいと思っておられる御利用者様のお気持ちに寄り添い少しでも長く生きて欲しい…そして最期を看取ってやりたいと…そんな想いからだった。
その後、週末に行かせて頂き、その時は既に元々居られた施設の看取り部屋に移られていた。
施設では、点滴もなく自然な状態でお休みになっておられた。食事は水分を口に濡らす程度で、看護師さんがお声掛けされてゼリーなどを口に含ませておられた。
それから一日おきに行かせて頂いた。
御自身がお好きだったお花のことやお歌のことなどを聞かせて頂き、クリスチャンでもお有りだったので、聖歌のCDをかけたり聖書を読ませて頂いた。御子息様御兄弟其々来られている時にはお母様との思い出話をいっぱいなさり、とても穏やかな良いお顔をされていた。特に島根県松江市に住んで居られた時のご家族のお話に花が咲いて盛り上がる。御利用者様は笑みが溢れていた。
段々と受け答えが出来なくなって来られたが、お幸せな笑みを浮べていつも休まれていた。
お会いさせて頂いてから10日目の夜に御長男様からの亡くなられたとのご連絡があり、急いで施設に向かった。まだ御利用者様は温かく魂がまだ此処にある感覚を受け取った。
御子息其々が看取りの作法を交代で何回かされた。お二人とも元々お母様に愛の言葉もお声掛けされている方々であり、看取りの作法もすんなりとなさる。そんな時、風もないのにフンワリとカーテンが揺れて、まるでお母様が「ありがとう」と仰っておられる様だった。貴重な御縁に感謝 合掌
担当看取り士 佐野 公美
文責 柴田久美子
看取り士日記(366) 第二回 ペットの看取りを考える全国フォーラム
紫陽花の美しい季節、6月15日(日)、明石市民会館にて「第二回ペットの看取りを考える全国フォーラムIN兵庫」が開催。命が躍動する若きダンシングチームKIRARA様のステージで幕を開けた会場。
基調講演では菅木佑始先生が「ペットは師匠」と語られ、その動物への深い敬意と謙虚さに、会場中が納得と感動に包まれました。特別講演では藤和彦先生が命を経済や社会構造の側面から紐解き、日常の中で見失いがちな命の重みを再認識させてくださいました。
シンポジウムでは、獣医師の藤原光宏先生、星川未羽先生、看取り士の山口朋子さんが登壇され、会場が静かな涙に包まれる中、命の終わりに何ができるかを深く考える機会となりました。
当日は遠方からもペット看取り士の皆様がボランティアとして駆けつけ、旅立ちを見守る力が全国に広がっていることを実感いたしました。
思い出されるのは、ある20歳のシニア猫さんの旅立ちの場面です。ご家族は「猫らしく旅立たせてあげたい、でも、看取るのが怖い」とご相談されました。旅立ちの数日前から食事が減り、心の準備が静かに整っていく中、一本の電話。「もうダメかもしれません」とのお母様の言葉に、「感謝を伝えてください」と看取りの作法をお伝えする。
その後、お母様はずっとシニア猫さんに語りかけ、抱きしめられ、愛と感謝に満ちた時間が流れます。ご家族に抱かれながら、猫さんは立派に旅立たれ、ご遺体にもドライアイスは使わず、三日三晩寄り添われました。「これからは猫という種に感謝して生きていきます」と語られたお母様。
その後、再び届いたお電話では「旅立ちが、もう一本の私の軸になりました」と涙と共に話されました。
ペットとの別れは深い悲しみを伴いますが、そこに愛と感謝を重ねることで、新たな生きる力が生まれ共に生きることが出来る事を学ばせていただきました。ペットの看取りを考える全国フォーラム、心よりの愛と感謝と共に、大成功のうちに幕を閉じました。
たくさんの皆様とのご縁に感謝 合掌
担当看取り士 柴田久美子
看取り士日記(365) ~命ゆだねる~
2/10 お看取りの依頼が入る。
ご依頼主様はご家族ではなく長年のおつき合いのある A様
お看取りされるB様は水分、食事共にほとんど召し上がらない状況。水分も1口、2口飲まれたとの記録。排泄も少量ずつの状態。
お目にかかってご挨拶すると目を丸くしてじっと見つめられた。目に力がない。お声掛けにゆっくりうなずいたり首を横に振られたりなさる。そのゆっくりの様がとても穏やかに感じた。点滴を訪看さんがなさったが、もう入らないというお声。37℃~38℃の熱が続いておられるので水分を摂って欲しいケアの方。思いが強く感じられた。
看守りの為にボランティアエンゼルチームが入られる。
意識低下と呼吸の変化にご依頼主様、大変不安なご様子にてお電話する。お1人で逝ってしまわないかととても不安との事。不安をゆっくりお聞きして「死はいつ、どこで、だれが、どのようにしておとずれるのかわからないものです。生きておられる間ずっとかかわって下さった事が本当に尊いですし、どんな亡くなり方をしたとしても、死ぬ瞬間までがその方の生き方ですので、例えどんな事になったとしても、その方の生き方であり逝き方ですからそのまま尊重いたしましょう。大丈夫ですよ。」とお声掛けする。フッと緊張しておられた心の糸がゆるんだご様子。きっと抱きしめられて逝かれると根拠のない思いで一杯になる。
その3日後、呼吸が更に変化して意識も全くもどらない、とご連絡を受けお伺いする。お部屋の空気がやわらかい。関係者様皆でお側につく。夜明け前、ご依頼者様の腕にしっかりと抱かれ呼吸は荒いもののとてもとても穏やかなお顔。この世で受けた全てのエネルギーを宝石のように輝かせながら静かに息が止まった。
亡くなられたあとも、縁者の方が替って抱きしめられる。“暖かい”と静かにつぶやきながらやさしい表情のお顔を見つめ「いいお顔されてます。こんなに穏やかないいお顔今まで見たことないと思う。」とゆっくりと看取られた。
その後、ご依頼主様のご意向により日本看取り士会のお墓にお納めする。
看取りの時間からその後まで命をゆだね、生涯の旅路に寄り添わせて頂けたことに心から感謝 合掌
担当看取り士 松山 照紀
文責 柴田久美子
看取り士日記(364) ~葬儀場でのお看取り~
八重さんに初めてお目にかかったのは、旅立たれた当日で、病院から搬送された葬儀場だった。八重さんのご長男のお嫁さんである朋子さんよりご連絡をいただき、その場に向かわせて頂いてのことだった。
ご相談では義母(八重さん)が入院中であること。かなり衰弱していて、食事もままならない状況であること、本人は家に帰りたいと言い続けていたこと、ご主人も八重さんの気持ちを一番に尊重してあげたいと思っておられること などなど…
そこで、ご本人様とご家族様の思いを実現するための準備について助言する。
退院させて自宅へ戻るためには、一番はかかりつけ医が必要であるため、現在の主治医に相談し、紹介状を書いていただくよう相談することをお伝えし、わたし自身が八重さんにお会いする日を決めて、その日は別れた。
その4日後の夜、朋子さんからLINEメッセージがあった。「義母は今朝亡くなりました」と。本日急変し、病院から呼び出されてのことだったと。朋子さんは間に合ったが、ご主人(八重さんの長男)は間に合わずだったとのこと。「今からでも充分ご家族様でお看取りができます。お義母さまのエネルギーをしっかりと受け取れますので、伺ってお伝えさせてもよろしいでしょうか?」と尋ねた。「よろしくおねがいします」とのことで、すぐに準備をして葬儀場へと向かった。
ご家族様にご挨拶ののち、八重さんと対面し自己紹介をさせていただき、改めてご家族様へ命のバトン(プラスの死生観)についてお伝えし、看取りの作法で抱いて頂き、八重さんの命のバトンを受け取っていただく。
当初、しっかりと電動ドライアイスが施されていたが、ご家族様へ説明し了承を得て、外させていただいてからのお看取りとなる。
触れ始めたとき、胸・腹部は冷えていたが、背部は温かい。八重さんの息子さんは「亡くなると触れられなくなると聞いていたから…まだ温かい母に触れることができて本当によかった」と、涙ながらに話された。
後日、初七日訪問をさせていただき、その後のご様子をうかがう。
「最期、温かくお別れができて本当によかった」とのお言葉をいただき、八重さんとのご縁を頂けたことに感謝 合掌
担当看取り士 村橋 征依
文責 柴田久美子
看取り士日記(363) ~まるちゃん、ありがとう~
紅葉が美しい11月の頃、霊園スタッフの知人から1本のお電話を頂く。
「妹家族の飼っている4歳のポメラニアンの犬(まるちゃん)が、家でご飯を誤嚥し窒息死してしまいました。このままだと妹家族が、うつになってしまうかも。助けてくれませんか?」とご依頼を頂く。
夜、お家に伺うと何とも言えない空気の中、ベッドに横たわっているまるちゃんの姿。最初にまるちゃんの傍にいき声をかける。沈痛なご家族様に、看取り士の死生観、命のバトンのお話をお伝えする。誰も触れていないご家族様。最初にまるちゃんを抱きしめ、すぐ妹様の膝の上で抱っこをして頂くと、「まるちゃん、ごめんね。」と泣きながら声をかけられる。まるちゃんから伝わってくるのは「お母さんは、悪くないよ。責めないで」と。
離れていたお子様達にも傍で触れて声をかけて頂く。涙も止まっていたご家族が、まるちゃん、と泣きながら「まるちゃん、ありがとね、楽しかったよ。」と言葉が少しずつ変わる。
近所に住む姉妹のお母様も駆けつけ「まるちゃんは、どうして!」と悲しみでいっぱいのお母様に深い愛情を感じながら、お母様にも抱いていただく。黙って見守っていた妹様の旦那様は「まるちゃん、ありがとね。」と優しく抱いてくださる。まるちゃんのお顔は、安心した穏やかな顔に変わる。自分のせいでは、と責めていた妹様も看取りの作法、初七日、四十九日の過ごし方を知り気持ちが少し和らいでいく。
次の日、ご家族様は埼玉まで用事があり、まるちゃんは1匹お留守番になると。
そんな中、臨終後の大切さをお伝えすると、次の日もまるちゃんも一緒に連れていったご家族様。
四十九日訪問に伺うと、泣きながらも笑顔の妹様。「埼玉での道中、ずっと抱っこしてまるちゃんと対話した時間のおかげで、次の日に写真まで整理でき悲しいけれど、不思議と受け入れています。火葬まで、皆で触れて抱っこをしたら硬直していた体が、最期まで柔らかく抱きしめて送ることができ、いいお看取りができました。」とどん底だった状況から、まるちゃんを想いながら前を少しずつ向いているご家族様。まるちゃんはご家族様とこれからもずっと一緒。
たくさんの無償の愛を渡してくれたまるちゃんとご家族様に感謝 合掌
担当ペット看取り士 山口 朋子
文責 柴田久美子
看取り士日記(362) ~最高のラスト~
父には「最高のラストを飾ってあげたい」
それは、数年前にお母様を看取った一人っ子の息子様からのご連絡だった。「父は小脳多系統萎縮症という神経系の難病でかかりつけ医からは、もう長くないでしょうと言われています。今まで入院していたのですが、父の希望は家に帰ることでした。医師からは、自宅で過ごすのはとても難しい状態です。もし自宅で過ごすなら人が寄り添っていない状態を1時間以上作ってはならない」と。
息子様はこの「1時間ルール」を守るため、毎日、昼間も夜間も看護師かヘルパーに入ってもえる事業所を探された。だが全ての枠を埋めることはとても難しく、自分の仕事のスケジュールを調整しながらの対応となった。
「母が亡くなった時、あまりにも早かった。息子として、もっとたくさん色々なことをしてあげたかった気持ちがそこに残っていました。だから父の時はできることを全部してあげたい。」と息子様の強い想いを感じた。
訪問する日を迎え、はじめてお父様にお会いしたとき、すでに病気の影響で嚥下はできなく、身体のいろいろなところの筋肉が硬くなり始めていた。そんな中、話かける声には反応をみせてくださったり、握った手を握り返して下さる。受け入れてもらえたことに感謝の気持ちが込み上げてきた。
2日後、お孫様のダンス発表会、会場に向かう前に御家族みんなでおじいちゃんの所へ寄って、「これから発表会に行ってくるね」と伝えられる。会場にいた息子様が看護師さんから亡くなった知らせを受け取ったのは丁度、お孫様の演目が終わった時だった。
ご家族の皆様が集まり、お孫様たちはベットの上のおじいちゃんに抱きついたり、添い寝したりといつもと変わりない距離感でおしゃべりされる。
みんなの愛がお部屋を暖かく包み、息子様の膝枕で眠るお父様の表情は穏やかで、にっこりと笑っているようだった。御縁を頂き感謝 合掌
担当看取り士 清水 和土
文責 柴田 久美子
