看取り士日記 mitorishi’s diary

 

看取り士日記(350・ご家族様による) ~主治医に抱かれて~

2023年8月、退院に向けての話し合いの日、母の容態が変わった。残された時間は長くない事が解った。 コロナの影響で面会制限もありそばにいる事もできず、やりきれない時間の中で看取り士山口さんに連絡をした。 私たち親子の最後の時間に寄り添って欲しいと。整理がつかない複雑な気持ちの私を受け止めてもらう。


二日目の夜、病院からの電話、急いで向かった。 間に合わなかった。看護師さんから「娘さんの到着が解った時でした。」と。 それでも 「ゴメンネ。 かぁちゃん。」と思う気持ちでいっぱいの私に山口さんは「お母様の内では間に合っています。出来る限り触れてあげてて。」 と。息を引き取ったばかりの母を労うように家族みんなでその体温を感じ合う。 そして自分達で抱いて帰りたいと伝えたところ、病院側も理解ある対応をして下さる。 看護師さんと共に主治医もいっしょに母を抱える。 母の最後に手を差し出しずっと頭を下げ見送って頂く。

 

やっと帰って来れたね。 兄から順番に膝枕での作法を教えて頂き、私たちは体に触れながら母の表情が変わった事に気づいた。開いていた口が閉じている。 微笑の顔に変わっていく。 その顔を見て私の緊張も解けていった。 そして背中に手を入れ改めて体温を感じた。“あったかい”その温もりはとても心地よく優しい。 懐かしい記憶とリンクした。 ただ触れていた手は真っ赤になっていることに驚いた。「お母様が放出しているエネルギーです。」 と。冷たくなる前に身体に触れる事ができて母が生ききったエネルギー。 この作法を知れた事、体感できた事は母からのギフト。 これが命のバトンを受け取れた瞬間だったと思います。

 

朝を迎え葬儀屋への連絡もゆっくり。 ドライアイスは極力使用せず大好きだった香りの中で、ここで生活していた時のように、会いに来て頂いた方にも触れてもらい、おしゃべりをし、泣いて笑って過ごした五日間。 看取り士さんに寄り添ってもらえた事で不思議な体感が私の内で母が存在する感覚となり、悲しいのに悲しくない別れができた。


私たち親子を改めて繋げてもらえた事に感謝 合掌

御家族 原山千寿子様
文責 柴田久美子


看取り士日記(349) ~ペット看取り士として~

向日葵の咲き始める初夏の頃。

20歳のシニア猫さん。

3か月前「その子の好きなように猫らしく旅立たせてあげたい、でも、看取るのが怖い」とのご依頼だった。

1週間前頃よりご飯の量は激減し、シニア猫さんに寄り添いながら、徐々にご家族の覚悟も決まっていった。

 

一本の電話が鳴った。

「柴田さん、もうダメかもしれません。」逼迫したお声だった。「感謝の気持ちを伝えてください。」とお伝えすると、お母様は旅立つまで、ずっとシニア猫さんに話しかけ、撫でられた。シニア猫さんとご家族様の濃厚で愛情豊かな時間。

愛溢れる温かな空間に包まれ、シニア猫さんは立派に旅立たれた。

 

帰宅されたお子様、お父様にも変わるがわる抱っこしてもらい、シニア猫さんの身体に感謝し、「まるでまだそこに居るようだ。」と話された。ご家族様には看取りの作法を行って頂き、ドライアイスは使わずに三日三晩寄り添われた。

 

旅立った直後は、悲しみが深く、「もう猫は飼わない。」と話されていたお母様。「これからはシニア猫との思い出と猫と言う種に感謝して生きていきます。」との事で訪問は終了となった。

 

その後しばらくして、一本の電話がかかってきた。

「シニア猫が旅立ってから、ずっとプラスの死生観の事を考えていました。シニア猫と共に生きた事がもう一本の私の軸になるんですね。今日の夕日は一段と輝いて見えます。」と感動の涙と晴れやかな声でお話しされた。

シニア猫さんからもらった無償の愛を次に繋げていきたい、と力強く前を向いて歩いていかれる姿は清々しいお声に変わっていた。

今、お母様はペット看取り士となった。

 

旅立った後もゆっくりと時間をかけて寄り添う事。それが大きな生きる力に変わる事を教えていただいた事に感謝 合掌

 

担当ペット看取り士 柴田久美子


看取り士日記(348) ~胡瓜と茄子を手に~

5月の中頃、腰痛ではなく水腎症でステントを入れる為に入院となったが徐々に状態が悪化。時にはせん妄も起き、子供・知人・包括にも電話があり「帰りたい。」を伝えられていた。寝言でも言われていたそうだ。そんな夢を叶えたいと次女様から連絡を頂いた。

 

認定調査、退院に向けてのカンファレンスも体調不良で延期が続く。水腎症・肺炎・多臓器不全の中カンファレンスの日になり、主治医に看取り士の役割を伝え、退院の日が決まり次女様の家に帰ることとなった。退院の日が決まり次女様の家へ帰ることが御兄姉妹の中で決められていた。

 

退院2日前に状態が悪化したが次女様が「連れて帰ります。」に主治医・地域連携・訪問診療・訪問看護・ケアマネジャーと全てが整い、車中も危ない状態の中自宅に帰る事となった。

ご自宅で私も合流し、御本人のお部屋のお布団へ。御家族様・御兄姉様・お孫様で布団の周りを囲みありがとうのシャワーとなった。そして次女様に看取りの作法をして頂いた。「温かい、安心する。良かったね、お父ちゃん。大好き。」と言われるとチアノーゼが消え、声をかけた方向に顔が向いた。長男様はお父様が植えた胡瓜・茄子を取りに行かれ、力ない中も持ってもらうことが出来た。全員が「連れて帰って来て良かった。」と言われ笑みさえ浮かんだ。

一旦落ち着かれたので退室した。その後、大親友のトマト仲間の顔を見て「アッ」の一言で旅立たれた。

 

連絡を頂いたのは2時間後だった。触れられていないお二人に触れて頂いた。「温かい。」の言葉と次女様、御家族様から「帰って来られ良かった。後悔ないです。」の言葉を頂いた。その後ドライアイスを入れないことを伝え、布団ごとお父様のお部屋へ。写メを撮りながら一夜を過ごされた。

 

全てご自分でプロデュースされ、子供達に看取られバトンを渡して旅立たれたお父様に感謝 合掌

看取り士 高木由香利

文責 柴田久美子


看取り士日記(347) ~感謝と涙の中で~

夏の終わりが近づく頃、まだ暑さが残る日のことだった。

「祖母の旅立ちが近づいています。私と私の長女は医療の現場で働いていますが、次女はそうではありません。次女が祖母の体の変化や、これから来るであろうことをどう受け止められるのか心配しています。看取り士さんの力をお借りしたい」という、お電話をいただいた。

 

ご自宅を訪れると、おばあ様は静かにベッドに横たわられていた。数日前までは苦痛を訴えていたそうだが、今はその訴えもなく、目を閉じて、一呼吸ごとに口で息をされている状態だった。

そっと手を握らせていただき、呼吸を合わせる。静かな部屋の中で、時間がゆっくりと流れていく。その後、次女様に終末期の身体の変化や、死についての考え方(死生観)、そしてご家族様が寄り添いながらできることについて、丁寧にお話をさせていただく。

 

一緒におばあ様のベッドのそばに座り、次女様に手を握って頂きながら、おばあ様の穏やかな呼吸を感じていただく。おばあ様が毎日のように作ってくれた温かな食事のこと、駅まで車で送り迎えしてくれたこと、一緒に過ごした貴重な時間の話をたくさんしてくださる。

「おばあちゃん、ありがとう」という言葉が、静かな部屋に響き渡った。

 

翌日の夕方、「祖母が旅立ちました」という連絡を受け、訪問医の先生との入れ替わりになる形でご自宅に到着。そこにはすでに集まっていたご家族様が、おひとりおひとり、おばあ様を優しく膝枕し、足元を囲んでいた。

皆様でおばあ様の身体の温かさを手のひらで感じていらっしゃった。「本当、温かいね。温かいね」という言葉が、部屋に満ちていた。そこには感謝の気持ちと涙が溢れていた。

 

四十九日が終わり、心配されていた次女様の様子を伺うと、「笑顔でおばあちゃんの話をしています。本当にありがとうございました」と、感謝の気持ちを伝えてくださった。

このご縁に心から感謝し、この尊い瞬間に立ち会わせていただけたありがたさに感謝 合掌

 

看取り士 清水 和土

文責 柴田久美子


看取り士日記(346) ~愛と共に生きること~

「父が入所中の施設から、容態が変化したため看取り体制に入りますと説明がありました」と戸惑いながら息子様から看取り士依頼の電話をいただいた。

 

 そして旅立ちの時、息子様から連絡が入った。看取りの作法をしていただく様にお伝えして深夜車を走らせた。入室すると、息子様はお父様を抱きしめられ、枕灯に照らされたお二人のお顔は優しいほほ笑みを浮かべ「お父さん、よく頑張ったね、ありがとう」と頬を合わせた息子様は、お父様に優しく抱かれる幼子に戻られている。息子様が「母にも抱きしめてもらいたい」とおっしゃられ、仮眠をされていたお母様にベッドに腰かけ抱きしめていただくと、ゆっくりと頬を撫ぜ「ありがとう」とつぶやく様に話しかけられた。「母は父の事が大好きなんです」と息子様は話された。

施設との約束で看取り士は訪問開始1時間後に退室、息子様は疎遠になっているお姉様への連絡を迷われていたので、必ず連絡していただく事と、葬儀会場へ移られる時にはまた訪問することを約束して退室した。

 

葬儀会場へ移動後、再度訪問、お姉様家族もいらっしゃる。息子様は「姉と姉家族にも看取りの作法で抱きしめて欲しい」と話されており、お姉様の事を大切に思っていらっしゃる気持ちを受け止め、お姉様にも抱きしめていただくと「会いに来なくてごめん」と声をあげて涙を流され、ご家族皆様がそのご様子にまた涙を流された。息子様も「よかったね、お父さん、お姉ちゃん、よかったね」と何度も声をかけられた。お婿様、お孫様も順に抱きしめられ、涙と一緒に感謝の気持ちをゆっくりと伝えられた。長い時間、ご家族様交互に抱きしめ、お父様の大きな愛に抱きしめられてご家族様の気持ちが一つになっていかれた。その夜、息子様はお父さまに添い寝され額をくっつけて眠られたと嬉しそうにお話しくださった。

 

初七日訪問では、「これからは自分のために生きていきたい」と微笑みながらおっしゃる息子様の言葉を横で笑顔で受け止めているお母様。お父様の介護の10年間と看取りきられた体感は息子様の生きる力となっていらっしゃった。「一人ではなく、父と二人ですね、一緒に幸せになります」とおっしゃる息子様の穏やかな笑顔と美しい涙は次への希望に繋がっている。

看取りの時、ご家族様が丁寧にご自分の心を感じながら過ごされることは、大きな生きる力に繋がっていく事を教えていただいた事に感謝 合掌

 

看取り士 白瀧貴美子

文責 柴田久美子

 


看取り士日記(345) ~主治医に抱かれて~

暑さが続く夏の日だった。

娘様より「母が施設で熱中症にかかり2か月前より入院中です。感染症からの肺炎で医師から、今日か明日が山場でしょう…」と告げられたとご相談をいただいた。突然のことに戸惑う娘様から「母の命のバトンをちゃんと受け取りたい…看取りの作法で送ってあげたい…」等々、不安な気持ちをお聞きした。

病院ではコロナが再び広まっていて面会制限15分という制限の中、共に祈りながらの時間。

 

ご相談の連絡から次の日の夜、「お母様の脈がおちてきている…」と連絡をいただき、すぐに病院へ向かった。娘様が病院に着いたその時に、娘様の到着をまっていたかのように旅立たれた。

「お母様を抱いて家に連れて帰りませんか?」とお伝えすると娘様はためらいながらも、「自分達で母を家に連れて帰りたい」と病院側へ伝えた。主治医が自ら、お母様を抱きかかえて車まで搬送をお手伝いしてくださり、今度は娘様の旦那様が、抱きかかえて、ご家族で力をあわせて念願の帰宅。

ご長男様から順番にお母様を膝枕で抱いて頂いた。言葉は少なくとも、愛おしそうに見つめながら「口が…とじたよ。不思議だね。」と口々にするご家族。病院では閉じなかった口が自然と閉じているお顔をみて「家に帰ってきてよかったんだね…」と安心感に包まれた。

お母様の背中に手をいれたり触れたりしていただくと「手が真っ赤…」と驚く娘様。「これがお母様の魂のエネルギーです」と伝えた。お母様のお顔はどんどんと、穏やかで笑っているような優しいお顔に変わった。家の中は、深夜でもあたたかな空間に包まれて朝になるまでお母様との時間を過ごした。

 

葬儀社さんを呼ぶのも、葬儀日程もゆっくりゆっくり。次の日はお孫さん達にも膝枕で抱いていただき、ドライアイスは3日間のせずに、お母様の大好きなアロマの香りに包まれて思う存分、触れて抱いて話しかけ、笑ったり泣いたり温かい時間をお過ごしになった。娘様は、「作法をしたことで、母とのわだかまりが自然ととけていった…」と清々しい笑顔。娘様の中に再誕生したお母様はこれからも共に生きていかれる。

 

生まれた時、抱きしめてくれたお母様を、最後はみんなで抱きしめて看取ることの温かさ豊かさを教えてくださったお母様に感謝 合掌

担当看取り士 山口 朋子

文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(344) ~再誕生の儀式~

看取り士である娘様のご依頼で、「余命1か月の母の看取りをお願いしたい」とステーションに相談の電話が入った。

グループホームに入所中であり、軽い認知症と癌を患い排尿、便から出血は有るが痛みの訴えはない様子。

娘様は幼少期以降からのお母さまとの心の溝から、余命1か月の母親に心を寄せる事が出来るか?看取り士の取得をしたものの寄り添えるか?お母さまに触れられるか?と不安を持たれていた。

 

ご依頼者様(娘様)と共に初めて訪問、お母様はしっかりとした口調で挨拶をされ、娘様は不安げな様子でしたが、布団から手を出されたお母様に自然と手を握られ、娘様はご自身のとった行動、お母様の様子に驚かれる。

2回目の訪問では前回と違い、声かけを2人でするものの「もうこんでいい!」など強い口調で別人のようだった。

3度目の訪問時では前回訪問時より、弱っている様子で目は閉じたまま、娘様や看取り士の声掛けは聞かれている様子、この日はお母様の好きな美空ひばりの悲しい酒をYouTubeで検索し一緒に聞いた。聞いてる途中から穏やかな表情になられた。その日の夜から急変、3日間呼吸は止まっている状態なのに酸素飽和度は84~100 脈拍70~120を繰り返すし身体も冷たくなっていた。

その間ご家族様(お孫様 ご主人様 娘様)でお母様に寄り添い、思い出話などをされ、お母様も大切な方々を待たれ、旅立たれた。

 

娘様は、ゆっくり二人だけの時間が有り看取りの作法を実践された。「人は意識で何でもできる 不可能はない 奇跡はある、と母から教えられたような気がする。母を看取った事は私自身の再誕生の儀式だった、看取り士は助産師みたいですね。」との言葉を頂いた。

 

看取り士として初の経験だったが、素直な気持ちで向き合う事で娘様とお母様のほどけかけている紐がしっかりと結び合い、それぞれの新たな旅立ちが出来たのではないかと感じた。最後まで寄り添う事が出来、感謝の気持ちでいっぱいです。ご縁に心より感謝 合掌

担当看取り士 大迫 雅子

                                     文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(343) ~看取りは愛~

ゴールデンウイークの頃、看取り士さんのことを知りたいと息子様からお電話をいただく。

 

約束の訪問の日、お母様は高熱をだされ、往診医と同じ時間帯での訪問となった。医師から「かなりの脱水状態ですが、点滴はお母様には負担があるのでできません。この状態だと入院レベルではありますがどうされますか?」とご家族に判断を仰がれた。ご長男様は、「容体が良くなるのなら入院してもいいが、特に変わらないなら母は家に居たいと思うので・・」と自宅で様子をみることになった。

医師が帰られたあと、ご兄弟様から、「自分たちが何かできることはありませんか?」と尋ねられた。「他にご家族はいますか?」と尋ねると、次男様が「3歳の娘と妻がいます。今日は母の具合が悪いので一人で来ました。」と仰られた。

 

「それなら、時間が許す限り、お母様に会いに来てあげてください。体調が悪いからと遠慮しなくて大丈夫なので娘さんも一緒に遊びに来て、いつも通りの暮らしをなさってください。」とお伝えした。

 

御家族との楽しい時を過ごされた日の夕方、「今気がついたら息をしていないみたいなんです。どうしたらいいですか?」とご長男様から慌てた様子でお電話を頂く。

ご自宅に着くと、ご長男様から「母がいつ息を引き取ったのかわからないんです。僕たちは誰も最期に立ち会うことができませんでした。」そう涙ぐまれた。「お母様はご家族皆様に囲まれて、お孫さんの遊ぶ姿も見ることもでき、息子さんたちの会話も聞きながら、とても幸せで安心されて、このときを選ばれて旅立っていかれたのです。皆さん全員が立ち会っていただけたんです。」と伝える。

看取りの作法をお伝えして、ご長男様からベッドに上がってお母様を抱いて頂き、次に次男様にも抱いて頂き、命のバトンを受け取っていただいた。お父様も少し照れながら、でもまだ少し緊張しながら、看取りの作法で奥様を抱いてくださり、ご家族の思い出話に花が咲いた。

 

生きているとき、どんなにその人とのわだかまりがあったとしても、抱いて看取れば愛いっぱいに満たされる。「看取りは愛」そのものなんだと学ばせて頂いた。

ご縁に心より感謝 合掌

 

担当看取り士 稲熊 礼乃

文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(342) ~壮大な力で導かれたお父様~

数年前に映画「みとりし」をご覧になったご長女様ご夫婦は、お母様の最期に心残りを経験されて、お父様は在宅介護を決めておられた。しかし、ご家庭の事情ご親族との折り合い等々大変に迷われた結果、一時介護老人保健施設へ入所し、水分補給の点滴開始を決められた。入所の際にご長女様は、担当医師に「万が一の時は家で旅立ちたい」と本人の望みをお願いされた。療養中は、見る見るうちにお元気になられて、経口摂取が可能に。ご家族、ご親族様とリモート面会を数回にわたり行う事が出来た。

ご利用者様が臨終前にご自宅へ帰られたのは、5月2日、息を引き取られたのは、5月4日の夕方だった。

その日は休日、ご本人様のご臨終後との事で呼んで下さる。

ご長女様より「今日は、今までの様なお別れの通夜では無く抱きしめて父を送る会にしました。その為に、看取り士さんに来てもらいました。」とご紹介を頂いた。

「初めまして看取り士の門井と申します。人生の最期 お父様、皆様に取りまして一番大切な時に御一緒させて頂けますことに感謝申し上げます。大変にありがとうございます。お身体が暖かい今お父様を抱きしめて、思い出や感謝、今まで言えなかったこと全てをお父様にお伝え下さい。皆様の声は聞こえています。」と、ご挨拶させて頂いて、ご長女様から看取りの作法を順に行って頂いた。

ご長男様の時に「きこえるの?」と私に確認をされてきましたので、「聴こえていますよ」と答えて、傍でその様子をご覧の医師に「聴こえていますね」と、お顔を合わせると、にっこりと頷いて頂きました。その訪問の医師も1時間ほど看取りの作法の様子をご覧になって帰られた。

 

お父様がご自宅に居る間、ひ孫様が傍に行き「おじいちゃん冷たい」と言いながら何度もお顔に触れていて、「あの時皆で抱いたからかな」とのお話も伺った。

 

壮大な力で導かれたお父様、最期に看取り士として立ち会わせて頂いたご家族様に心から感謝 合掌

 

担当看取り士 門井孝子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(341) ~抱きしめられて~

若葉が目にまぶしく映り始めた頃だった。

 

看取り学を学び、看護師で看取り士となられた方から、癌を患っていたお母様が体調を崩して看取り期に入ったので相談したいと連絡が入った。

看取りは看護師として、何度も経験しているが「命のバトン」をしっかりと受け取りたいとのこと。無償ボランティア、エンゼルチームのご依頼もいただいた。

 

お母様に、「触れていいですか」と、お声をかけるとしっかりと反応してくださり、大きくうなずかれる。お母様は、八九歳。お父様と2人暮らしだが、近くにご依頼者である娘様(次女)が住んでいる。お母様のご希望通り、自宅で看取りたいとのこと。すでに訪問診療は週2日入っておられた。

 

その日の夜中の0時を過ぎた頃、呼吸が変わった、血圧が下がったと連絡が入り、駆けつける。お母様は、娘さんの腕に抱かれて、看取りの作法で旅立たれた。穏やかなあたたかい優しい時間が流れた。お父様は、「まだ、あったかいなあ」と手を握られ、冷たくなってきたら、あたたかいところを探して触れられる。65年連れ添って来られた奥様だ。長女様も来られたので、その後、ゆっくりと看取りの作法をしていただいた。“お母さんにまだ、ありがとうと伝えてなかった”と、感謝の言葉を涙ながらに話された。

 

3日目が納棺式、お通夜、4日目に葬儀の予定となり、ご家族のご希望で、葬儀(神式)、火葬場、収骨と御一緒した。まさに看取り士は、もう一人の家族だ。収骨までの直会の食事会の時に、20人以上おられたご親族に長女様が感謝の言葉を共に、看取り士としてご紹介くださり、お母様の看取りのご様子をお話しされた。お父様は、その間、ずっと手を合わせてくださり、頭を深く下げて下さった。

 

看護師である次女様が、看取り学を勉強し、看取り士になったことからはじまり、全てはお母様のプロデュースであったとあらためて感じた。看取りの尊い場にお呼び頂きましたことに感謝 合掌

 

 

担当看取り士 乗本奈穂美
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(340) ~12歳 制服を着て~

春が近づいてきた3月1日。知人の葬儀社からの相談。内容は「亡くなったお子さん(12歳)に制服を着せて欲しい」とのこと。

 

亡くなって3日目。病院搬送後に受けた検査で《コロナ陽性》と判明したため、納体袋に入っている状態。亡くなる直前まで元気だった我が子が棺に納まり顔が見られない状態にご両親の心情を思うと早く何とかしてあげたいという思いに駆り立てられた。納体袋を開封。この日は、お顔を見て頂くところまで行い、2日後に中学校の制服が届くことになっているとのお話をお母様がして下さったので、その日に身支度を整えましょうと声を掛けた。

 

3日の午前中に訪問。納体袋に入れられた12歳のお子さんは何も身に着けていない状態。その姿をご両親には見せられないと葬儀担当者に伝え、ある程度まで私が着せることをさせて頂き、以降をご両親・ご家族にバトンタッチして身支度をお願いした。

事前に通夜の前、通常であれば納棺する時間だがご両親・ご親族にきちんとお別れをして頂く時間にしたいと葬儀担当者に相談、快く承諾してもらい「棺から出して布団に寝かせて抱いて看取りの作法をしてもらいたい」と言うと布団を準備して下さった。

 

通夜当日、セレモニーホールの和室で棺から出され布団に横たわるお顔は納体袋に入っていた時とは比べものにならない程に穏やかで子どもらしい表情に変わっていた。

 

告別式の日、出棺前のお別れの時間も私に任された。棺を開け最後のお別れをしてもらう時間。「これがお別れをする最後の時間です。触れて声を掛けてあげてください」と伝える。

火葬。炉の扉が開いた途端、お母様が「やっぱりだめ。やだやだ」と言いながら棺につかまり半狂乱になられ、車いすでの対応。しばらく泣き叫び「大丈夫。身体は無くなってしまっても魂はママと一緒にいるよ。ずっと一緒だよ。大丈夫。大丈夫」と声をかけ続け、暫くすると落ち着き見送ることが出来た。

 

「この人がいれば服を着て旅立てる、ママのことも助けてくれる」と今回は、12歳のお子様自身が私を呼んでくれた。このご縁に感謝 合掌

 

担当看取り士 鈴木 純子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(339) ~ペット看取り士と春風のように暮らしを支えて~

新緑のまぶしい季節。

私が月間紙「安心」、週刊誌「女性自身」にペットの看取りの記事を書かせて頂き、ペットの依頼が続く。実にペットの数は小さなお子様の数を上回る時代。親の看取りの時よりも「辛い」との声すら頂く。ペットは家族。飼い主様の不安は計り知れない。

 

先日も「老犬で目が見えず、自分の便を踏んでしまうので目が離せない。オムツも嫌がる。助けてください」とのご相談。私の愛犬もそうだった。いつもショルダーで抱いて看取りの家に連れて行って仕事をしていたのが思い出された。

 

日本看取り士会初めてのペット看取り学講座を急遽開催。全国に42人のペット看取り士さんが誕生して地域の皆様のお役に立てる準備を整えた。

 

兼ねてより「高齢になりゴミ出しが出来ず困っている」とのお言葉も良く聞いた。実際、私自身が骨折を体験した事で当事者になり不便な暮らしを体験。4月より暮らしサポートサービスも開始した。

 

どんな小さな事でも地域の皆様のお困り事に対応する事に決めた。もう一人の家族として春風のように皆様の暮らしに寄り添う看取り士でありたい。

 

私の骨折と同じ頃に、子供食堂に来てくださる80代の透析患者様が骨折のために4ヶ月入院なさっていた。元気になって車を運転して子供食堂に来てくださった。その時おっしゃられた言葉が印象的だった。「柴田さん、心が折れそうな毎日だった。そんな中でも心が前を向くように自分を奮い立たせ、必死に良くなると、希望にすがりついていた。治るか治らないかは自分が決める。心が萎えたら終わり気力が全てだね」とおっしゃった。この言葉が全てに通じると、私自身強く感じた。

 

暮らしの中で教え導いてくださるご縁を頂く全ての方々の真心に手を合わせ感謝 合掌 

 

看取り士 柴田久美子

 


 

看取り士日記(338) ~見事なプロデュース~

師走に入り、寒さが身にしみる頃だった。

助産院を営む長女さんは、すでに看取りについて学ばれていて「生まれる時も、旅立ちの時も、自然が一番いい」と、お一人暮らしの80歳のお母様の看取りを依頼された。

お母様は初めてお会いした時から、地元の話や、趣味だった登山の話をたくさんして下さった。3回目の訪問の時には「昨日、冷蔵庫にヨモギの葉を冷凍していたのを思い出したから、ヨモギ餅を作ったの」「えっ、一人で作ったの」と驚く私に満面の笑みを見せて下さった。

 

4回目の訪問、明らかに今までと状態が違っていた。翌日かかりつけ医の往診で、いよいよ旅立ちが近いと言われ、ご家族が泊り込むことになった。この家で生まれた次女様の大学生の息子様が「僕がおばあちゃんを看取りたい」と言うので、看取りの作法を教える。

トイレに介助されて行った後「もう参らせて欲しい」と、本人の希望で排尿の管も入れられた。

 

正月3日の夜中に「呼吸が苦しそうです」と連絡を受け、「看取りの作法をして、呼吸合わせをしてください」と伝えた。日付が変わった頃、お孫さんに抱かれて、呼吸合わせをしていると、お母様の首の後ろあたりから、白い霧が出て、その中に包まれ、大好きな山に登頂したかのような最期だった。

「姉妹で寝食を共にしたのは何十年ぶりかな」「年末年始を家族揃って過ごすことができたのはお母さんのおかげだね」「具合が悪くなる前日には『こんな髪では、正月が迎えられん』と自分で美容師さんに電話をかけてカットしていたのよ」携帯には少し恥ずかしそうに微笑むお母様が映っていた。

 

ご自宅でお通夜、葬儀を終えて、荼毘に向かう車内には、お母様の大好きだった松任谷由美の「ひこうき雲」がイントロから流れ始めて到着するまで流れていたと言う。

「ベッドは嫌や」「三が日に行くのは嫌やな」「死ぬのはいいんやて、患うのが嫌やな」すべてご自分の思うとおりにプロデュースされて見事な旅立ちをみせて下さった。お別れをして、外に出ると、東の空がオレンジ色に光り輝いていた。

初めての看取りでたくさんの学びを頂いた。命を預けて下さったこのご縁に心から感謝 合掌

 

担当看取り士 小川みさ子

文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(337) ~「家の雑音が好きだから」の願いを叶えて~

山茶花が赤い花をつける頃だった。

 

一本のお電話をいただいた。お母様の思いを確認せずの入院となっていたことに気づかれ、家族で話し合われた。お孫様がおばあちゃんから「賑やかなのが好きだから賑やかにしてほしい。家の雑音が好きやから家に居たい。」と聞いておられた。娘様はすぐに、退院して自宅で看取ってあげたいと明るい声でお電話をくださった。

 

お電話から5日目には退院となった。退院の時、お母様はとても嬉しそうに目をきらきらさせて、お部屋を見まわし、自宅に帰った喜びを笑顔で表現されていた。お世話になった先生や看護師の方に何度もお辞儀をしてお礼された。

車からベッドまでは、息子様のお姫様抱っこで、お部屋には、娘様やお孫様。ひ孫様は、7歳、4歳、10か月でじゃれあって遊んでおられる。そしてこれからお世話になる医療や介護の方々も来てくださり、お部屋はいっぱいになった。

 

皆が集まり、今後の希望のお話をする時間は、とても賑やかな喜びに包まれる。4歳のひ孫様は、「おばあちゃん、マッサージしてあげる」とお布団をめくり、小さな手でおばあちゃんの足を包んでいる。10か月のひ孫様は、お布団の上でキャッキャッとはしゃぎ這い這いしている。

 

その夜は、娘様とお孫様がご一緒に過ごされた。その朝、お孫様に手を握られて穏やかに旅立たれた。娘様は何度も「家に帰れてよかった。声を掛けたら起き上がってくるみたい。こんなに穏やかなんて。」「お母さん、ありがとう」と長い時間、お母様を抱かれ、肩や胸や頬にふれて「あったかい、本当にあったかい。首の後ろが一番あったかい。」と暖房を消されても熱く、お母様のお布団の中は、こたつのように温かく訪れる方々を驚かせた。
息子様もお母様に看取りの作法をされ、「ありがとう。」とやさしく抱いてくださった。

 

普段の雑音が幸せと暮らしの中の看取りのあたたかさを教えてくださった幸齢者様に感謝 合掌

 

担当看取り士 西河美智子

文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(336) ~誕生の時のような歓喜の中で~

山茶花の花が咲く頃だった。

「そろそろ母が旅立ちそうなので。看取り士とエンゼルチームを要請したい。」と連絡があり、翌日自宅へ訪問した。

お母様は脊髄小脳変性症という難病を患い、4年前に自宅へ呼び寄せ生活を共にしていたが、
連絡のあった1週間前頃から食事が食べられなくなっていた。
契約から旅立たれるまでの12日間のうち、初日と最期の日以外は無償ボランティア「エンゼルチーム」が傍に寄り添う。

ご自宅ではお母様のご意向を一つ一つ確認し、尊厳を守りながら実の親子だからこそ本音を出し合う様子を拝見し、
夜間の事等話を聞かせていただいた。お互いに様々な思いや感情が残っていた。

お母様も、お迎えや死を受け入れるまでの行程で不安になる。身体の変化に注意しながら心に寄り添った。
私はお母様がご自身の最期をプロデュースされるのを拝見し、娘様の心が決まるのを待っておられたように感じた。
そして看取りの時、「お母さん、もういいよ。お母さん頑張ったね。ありがとう。」と言いながら看取りの作法(ひざ枕)をして下さった。
空間は愛で満たされ、今までのことが全て許し許される誕生の時のような歓喜の時間となった。

初七日の訪問に行くと「看取りの作法をするのにとても大きな覚悟が必要だった。
頭ではわかっていても感情が揺れた」と話してくださった。

看取りとは、共同創造していく中で魂と魂で感じあう感性を育み、関係性がより良く変化し、
大きくて大切な宝物を手渡せる慈愛の世界そのものだと
教えて下さったお二人に心から感謝 合掌


担当看取り士 藤原利恵子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(335) ~もう大丈夫。ありがとう~

暑さもいくらか和らいできた頃だった。
87歳男性の方だった。病院を退院され、御自宅での看取りを希望された。

奥様は御主人と元気な時から、最期まで自宅でと約束をされていたと言う。
旅立ちの時まで一緒にいる事。口が渇いたときなど水で湿らせてあげたい。と!

ご長男様もお母様が後悔のないように看取らせてあげたい。
お母様の体調を心配され、休める体制を作ってあげたいと看取り士への依頼があった。

10月2日、プラスの死生観と看取りの作法を家族の方にしっかりお伝えし、ご家族がひとつになられた。
3日21時より夜間の付き添いをさせていただいた。
奥様、長男ご夫婦、お孫様はいつもそばにいて声をかけ、体に触れながら笑ったり泣いたりしながら思い出話をされていた。
嫁いだ娘様が来ると連絡があり、御本人様に「娘さんが来られます」と声をかけ続けた。

娘様が到着され、お父様の周りを皆様で囲む。
もうその頃には「頑張れ頑張れ」と言う言葉から「もう大丈夫。ありがとう。ありがとう。」という言葉が皆様の口から出ていた。
そして本当に穏やかに旅立って行かれた。

最初は皆様がお父様に触れていらっしゃったが、最後はお父様を囲み家族が1つの輪のように、綺麗な一輪の花の様なとても暖かい空間だった。
それを見てお父様はきっと安心して旅立たれたと感じた。
大きな感動をいただいた。

ご長男様は「ほんとに最期の時看取り士さんがいてくれて安心し、とても心強かった。」とおっしゃってくださった。
皆様とのご縁に感謝し、看取り士としての役割を誇りに思った。
この尊い場面に立ち合わせて頂けた有難さに感謝 合掌

 

担当看取り士 矢嶋 洋子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(334) ~最期の願い~

 

枯れ葉舞う小春日和。
延命治療は希望しない、自宅に戻りたいというお父様の願いを叶えたい。
看取り士相談の後、ご家族(姉弟)は、主治医と相談しながら準備を始める。
ソーシャルワーカーのサポートを受け、在宅チーム(訪問医、ケアマネージャー、訪問看護師)が決まる。
介護経験のないご家族のサポートとして、看取り士は夜間見守りでスケジュールを組む。

しかしながら退院準備中、医師から突然の告知。
「今夜かもしれない、それでも自宅に戻る準備を進めますか?」
「はい、お願いします」
お父様の思いは、ご家族とひとつになっていた。
急遽退院が決まり、その夜のこと。
「家に帰って来ようね!今準備を進めているからね。もうちょっと頑張ってね!」
病院スタッフに受話器を耳にあててもらい、姉弟ふたりでお父様に伝えたという。

退院当日の朝、娘様の計らいで施設に入所中だった最愛の奥様と面会することができ、もう一つの願いが叶う。
(しばらく夫婦離れ離れで会えない状況だった)
その後、帰宅時間に合わせ担当看取り士が静岡の自宅に向かう途中、病院で死亡確認との連絡を受ける。

その後、住み慣れた自宅へ帰宅。
「おかえりなさい」
いつも寝ていた布団の中で、ご家族全員がお父様を抱きしめる。
小さなお孫さんも優しく触れる。
「じじ温かいね」
「これがエネルギー?凄いお父さん!みんなに渡したいんだね」
「がんばったね」
点滴の刺し傷や抵抗したときにできたと思われる痣も、ご家族の手によって癒されていく。
交流が始まると、暖房を入れているような暖かさを皆が感じていた。
心肺停止してから8時間以上経ってもからだは温かい。
「冷たくなるまで父に触れていたい」と、川の字に眠る姉弟。

朝焼けの時間、お布団の中はまだ温かかった。
お父様の最期の願い“ご家族にいのちのバトンを渡す”尊い時間に、看取り士も共に立ち会わせて頂いたこと、
お父様の深い愛に感謝 合掌


担当看取り士 尾美恵美子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(333) ~母は光になりました~

 

残暑がまだ厳しい初秋のころだった。連絡を受けた翌日には契約と初回訪問となる。このとき余命1~2週間。

89歳になるお母様は、7月に腎不全増悪となるも、以前より「その時が来たらその時」と透析はしない決断をされていた。
娘様はお母様の意思をくみ取り、連夜付き添われていた。

初回訪問時 ベッドに休まれているお母様の手に触れてゆっくりと声をかけることで、しっかりと視線を合わせて、言葉や頷き手振りで意思を伝えられる。
その姿を見ていた娘様はびっくりされて、「久しぶりに母の声を聞きました」と。
夜間はお母様おひとりで住み慣れた自宅で休まれる時間となり、ひとりの時間も大切であること、またひとりでの旅立ちがあったとしてもそれはご自身のプロデュースであるから大丈夫です、と娘様に伝えた。

一週間後の二回目訪問時 努力呼吸が続いており、お体は旅立ちの準備に入られていた。
今夜は泊まりますと言われる娘様に、看取りの作法をお伝えし一旦退室した。

翌深夜三時過ぎ「呼吸が止まりそう、あのポーズをしてもいいですか。」と連絡を受け、到着した時にはベッド上で膝枕をしていらした。
その光景は、側に居た訪看さんが霞むくらい、光り輝いて映し出されて見え、娘様に抱かれているお母様は笑みを溢されていた。
主治医からの確認も膝枕をしたままでしていただき、「母は光になりました。これで自由にどこへでもいけるね。」と語りかけられた。

沢山のお母様のエピソードをお話しされる中、「あ~そんな事もあったかしらね」と、言わんばかりのお母様の微笑み。
夜が明けてお孫様にもしっかりと抱いていただき、また笑みが溢れた。
命のバトンを受け渡す温かな時間を、朝日が昇るまで隣で寄り添わせていただいた。
空間は愛で満たされ、これからは光となって傍におられるお母様とそのご家族に、もうひとりの家族として寄り添わせていただけたことに感謝 合掌


担当看取り士 藤本妙子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(332) ~点滴はいらない~

 

紫陽花の咲く頃、お母様が危篤となり、おられた施設から救急搬送され、一命はとりとめたが病院では、
全く面会ができないと長女様より、ご相談の電話をいただく。
在宅での看取りも考え、すぐに看取りサービス桜のご契約をされる。

お母様は元看護師で、ご本人が延命はいらないと言っておられ、延命は断ったものの、病院では、点滴につながれ、浮腫がひどい。
食事は全く取れない。
1ヶ月がたち、療養型の病院への転院を進められるが、やはり、面会はできない。
自宅に帰ることは、次女様が大反対される。長年、お母様が歌体操などをしにボランティアをされていたもといた施設に戻られることに。

施設では、看取り期ということで、初めは週に15分の面会を許される。
浮腫がひどく、点滴が入らなくてあざだらけ、
もう、点滴はいらないと長女様は、ドクターに伝えるが、ドクターは、点滴を外すことは、殺人行為だと言われ、泣きながら電話が入る。
お母様は、もう話すことはできないけれど、目力と最後の力を振り絞り、手でいらないと点滴を振り払われる。
旅立ちの20日前のことだった。

何度も危篤となり、施設に呼び出されるようになり、家族が駆けつけると小康状態になるお母様。
厳しい面会制限の中、なんと最後の3日間は、夜間の寄り添いもできて、
まさにお母様のプロデュース。
看取り士も駆けつけさせていただき、看取りの作法をお伝えする。
長女様はもちろん、次女様も看取りの作法でお母様を抱きしめてくださる。
看取りの作法をされて、お母様に“産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。
お母さんの娘で幸せ!”とつたえられ、お盆の中日にお母様は、旅立たれた。

ご自宅に連れて帰り、真夏だったが、2日間、ドライアイスは入れずに過ごされ、長女様のご希望で看取り士も一緒に一昼夜寄り添わせていただき、
また、看取りの作法をしていただき、夜は添い寝された。
お母様はどんどん美しく笑顔になっていかれた。
ドライアイスを入れないことや旅立ちの後にご自宅に連れて帰ることも当初、反対だった次女様も、
翌日来られたときに、“お母さん、笑顔になっている。
こんなゆっくりとしたお別れができるなんて”と、ゆっくりと触れて穏やかな時間が流れた。
お母様の全てのプロデュ-スに心から感謝 合掌


担当看取り士 乗本奈穂美
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(331) ~家族の絆の中で~

 

雨に紫陽花が映える6月、「看取りについて話を聞きたい」と一本のお電話をいただく。
長年肝臓を患っておられたが、5月に体調が急激に悪化し、肺炎で入院されていた正男さん(78歳)。
娘様より「衰弱が見られるため本人希望の通り、大事にしてきた家で最期までのんびり過ごしてほしい。
兄弟妹や娘達に尽くして生きてくれた」との思いをお聞きする。

在宅診療医も決まり、退院前日に契約となる。
当日ご様子伺いに行くと、ベッドの周りには奥様、娘様、お孫さん達に取り囲まれ賑やかで、時折開眼、発語見られる。
孫娘様が「病院を出る時、じいじがガッツポーズしたんです。介護タクシーで家に戻る途中、いつもしていた畑に回って帰って来ました」と教えてくださる。

12日目の朝、ご様子伺い。3時間が経とうとする頃、呼吸が変わる。
奥様が切ったスイカを持って来られ、長女様がお父さんの歯にスイカをこするようにして汁を流し込むように口に含ませる。
もう一口。正男様も分かったのか笑顔になる。「ゴクン」と飲み込んだ瞬間、皆から歓声が上がる。
それから呼吸の間隔があいてすぐに旅立っていかれた。

皆さんに触れていただき、どんなお父様だったかお聞きする。
涙の後に笑いあり、また涙で話が尽きない。
「働き者でいつもみんなを喜ばせてくれた」「東京オリンピックの聖火リレーで走った時に、沿道に見に来てくれた」「野菜がいっぱい採れた時は会社まで持って来て恥ずかしかった」等々、賑やかにお話しされる。
看取りの作法でゆっくりと家族の時間を共有され、尊い時間を過ごしていただく。
部屋には家族で出かけた家族写真や、正男さんへのメッセージが飾られており、家族の絆が伝わってくる。

後日訪問させていただくと三女様が対応してくださる。
「後悔はいっぱいあるけど、看取りの作法のおかげで救われた気がします」
家族の絆を深め、命の尊さを教えてくださった正男様に感謝 合掌


担当看取り士 源谷千代
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(330) ~供養とつながる命~

 

ほおづきの赤い実が亡き人々を思わせる。
お父様の余命宣告を受け、戸惑いを隠せない娘様からお電話を頂く。

私は1,300年の歴史を持つ出雲大社の氏子として生まれた。
その日はお祭りの当日、賑わいの中で私は大國家の末っ子として誕生する。
父は、巫女として育ってほしいとの願いを込め私のことを「来る巫女」―― 久美子と名付けた。

祖父は私にとても優しく、私は幼稚園も保育園も行かないままに自宅で祖父と父の言葉から「美しく暮らすこと」を教えられた。
時に私が「私も〇〇ちゃんのように幼稚園に行きたい」と漏らすと「人と比べることはない。
くんちゃんはくんちゃんの人生を生きていく。
人は皆、神様だから、くんちゃんはくんちゃんのままで大丈夫。
人と比べると幸せにはなれない」と、小さな私の手を握り、瞳を見ながら話してくれた。

「古事記」では、非暴力を貫いた大国主大神のおかげでこの国がはじまったと言う。
父からは、こういった民話を聞かされて育った。
「決して怒ることなかれ」これが父の口癖であった。
それはもしかしたら1,300年以上も前の大国主大神の言葉であったかもしれない。
出雲大社に眠る大国主大神は、私たち日本人の父親だと教えられた。
祖父は雨の日、雪の日、漁に出かけられない日は自宅で網を編むのが常だった。
その網は欲しいと言われれば惜しげなく誰にでも渡す。
「くんちゃん、爺さんが渡した網は、違う形でみんなに戻ってくる。
何に代わるかなあ。いつになるかわからないけれど、楽しみだね」。
すぐに結果が出るのではなく、人生の長い歴史の中で差し出した真心は、他者からの支えという形をとって戻ることを祖父は教えた。

今は父も祖父もいない。透明な命となり、命は永遠に続いていると教えてくれたことに感謝 合掌


看取り士 柴田久美子

 


 

看取り士日記(329)~希望を叶える熱意~

 

あじさいの花が美しい頃だった。
お父様の余命宣告を受け、戸惑いを隠せない娘様からお電話を頂く。

3年半前に見つかった胃がんの手術後、抗がん剤治療を選択せず、毎日を穏やかに過ごされていたお父様。
ご本人が望まれたご家族との穏やかな暮らしは、激しい腹痛によって変化を迎えた。
主治医から腹部に広がった癌と肺炎の転移を告げられ、余命宣告を受けられる。
同時に、すぐにホスピスを探しはじめるようにとも言われた。

お父様の希望を叶えるべく、ご家族はご自宅でのお看取りを選択。私どもにご依頼を頂く。
自宅での看取りに難色を示したのは、緊急入院先の担当医だった。
ご家族の大変さも考慮し、あまりお勧めはしないと言われていた。
しかし、お父様の希望を叶えたいという娘さんの熱意と行動力に動かされ、次第にご自宅へ帰る方向へ話が進んでいく。
お父様が自宅に帰られたのは、相談を受けてから約3週間後。
便の出口を作る手術を受けて自宅に戻られてから、少量ながらお食事を取られ、ご自身で歩くこともできていた。
しかし、旅立ちの3日前、とうとう水分も口にされなくなる。
旅立ちが近づいてきたことを肌で感じ取られたご家族様は、お父様と片時も離れず過ごされる。
そしてお父様はお母様が添い寝をしている朝方に、静かに息を引き取られた。
苦しませたくないと心配していたご家族様は、安堵感と、静かに旅立たれたお父様の優しさを、身体で受け止めた。

膝枕をしながら「私も幸せでした。お父さん、ありがとう」額を撫でながらのお母様のお言葉に、お父様の表情が笑顔になった。
家族に愛を注いで来られたお父様が迎えられた幸せな最期に立ち合わせて頂いたことに感謝 合掌


担当看取り士 清水直美
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(328)~逆縁の中 愛に包まれて~

 

芝桜の花が美しい頃だった。
看取り士の仲間の訃報のお電話を頂く。
お家に入ると、畳のお布団の上で眠っているかのような彼女。
亡くなられてからすでに24時間が経過。
離れたところで何とも言えないぎこちないご様子のご家族。

手をあわせ、顔にかかった白い布を取り、そっとその身体に触れる。
もうすでに温もりなど感じられないほど、冷たく硬くなっていた。
息子さんに「ドライアイスを外させていただいてもいいですか?」と尋ねる。
身体におかれたドライアイスを全てよけて、冷たくなった彼女をしばらく抱きしめる。
しばらくすると、近くにいた息子さんが「触れてもいいんですね」と、一緒に触れ始めてくれた。
冷たくなっても、触れていたら、ぬくもりが戻ってくる。

以前、彼女は「自分の最期の時は、看取りの作法をされて逝けたら幸せだな……」と言った。
そんな言葉を思い出し、息子さんにお伝えすると「やってみたいです」とすぐに作法を実践してくださった。
病院で見た顔より、全然穏やかにみえる……と不思議そうな息子様。

お母様に「生まれてきたときと同じように、もう一度だけ娘さんを膝枕で抱いてもらえませんか?」と聞くと、
迷うことなく、「やります。」と作法をしてくださった。
娘様の名前を、何度も何度も呼びながらも、母が娘を抱いている姿は、悲壮感はなく、とても清らかで美しい。
言葉などいらない尊い空気が、優しく二人を包みこんでいた。

彼女の生きてきた命のバトンがご家族、周りの方に繋がり、悲しい場面があたたかな場になること、
死は終わりではないことを、身をもって教えてくださった 仲間の看取り士に感謝 合掌


担当看取り士 山口朋子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(327)~お父様からの「ありがとう」の言葉~

 

バラの花の美しい頃、ご相談の電話を頂く。
奈良市で二人で暮らす80代のご両親を案じて、山梨県にお住まいの次女様からだった。
早速訪問。まだ、看取りの段階ではないが、看取り士派遣サービスの桜の契約を頂く。
その後、誤嚥性肺炎で入院、どんどんとレベルが低下。
ついに鼻腔栄養のチューブを付けられる。病院からは、療養型の施設をすすめられる。
しかし、コロナ禍で病院も、施設もほとんど面会もできない。

しばらくして、お父様は、鼻腔チューブを抜いて、ご自宅へ戻られる。
お家に戻られたお父様は「(家に連れて帰ってくれて)ありがとう」と次女様に言われる。
点滴もない。お父様の肌艶は良い。発話は少ないが、しっかり反応。
ドクターは余命2週間から1ヶ月とのこと。無償ボランティアエンゼルチームをご希望。
23時50分、呼吸が変わったと電話が入り、かけつける。
不安の中におられたご家族は、看取り士さんが来てくれたと安堵の表情。お父様は、まさに肉体を手放そうとしておられ虫の息。
すぐに看取りの作法を次女様にしていただく。
10分も経たないうちに安らかに旅立たれる。

私が駆けつけた時に声をかけた時は、首をふっておられたが、奥様に「お抱きになりますか?」と再度、お声かけをすると今度はうなずかれる。
両手でお父様のお顔を大切そうに触れられて、「お父さん、あなたのおかげでいい人生でした。ありがとう」と話される。
すると、お父様の開いていたお口がだんだんと閉じてきて、最高の笑顔になっていかれた。
ドライアイスは3日間入れず、皆様にゆっくりと触れていただき、温かさ、そして冷たさをも受け取っていただく。
お父様は6日間をご自宅でお過ごしになった。

看取り士は本当にもう一人の家族であることを実感させていただく。そんな尊い場面を創ってくださったお父様、そしてご家族に感謝 合掌


担当看取り士 乗本奈穂美
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(326)~最期のメッセージ~

 

桜の花が満開のころだった。
初回訪問2日後の午後に息子様から呼び出しがあった。
病院につくと、コロナ禍の面会制限の中で、病室に入れていただくことができた。
息子様はベッドの上で看取りの作法でお母様を抱いておられた。
そこでお母様と初めて対面する。息がかなり上がっている。
酸素マスクをつけておられるが、血中酸素の濃度があがらない。もう近いというのがわかる。

息子様が「今日の日はさようなら」を歌いだし、「信じあう喜びを大切にしよう、
明日の日を夢見て希望の道を~今日の日はさようならまた会う日まで~」と詠い終わられたタイミングで、お母様は2回大きく息をされ、旅立たれた。
息子様はお母様に看取りの作法をしながら「お母ちゃん、ありがとう」と何度も声を掛けられていた。
埼玉のお兄さまに連絡をし、「耳は最期まで聴こえています」と伝え、お母様の耳元にスマホを当て、お母様に言葉をかけてもらう。
お兄さまの第一声は「お母ちゃん、ありがとう」、そして、お兄さまが面会した時のことをお母様に話しかけられ、弟様も応対される。
まるでお母様とお兄さまと依頼主様の3人で話されているようだった。
きっと、お母様がご兄弟に、信じあう喜びを大切にとメッセージを送られていたのだろう。

自宅で5日間、ご依頼主様の希望で寄り添われることになる。
ドライアイスはせず、2日間添い寝をなさる。
自宅に帰られてから2日目には、お母様の生まれ故郷である和歌山の海を見せたいという依頼主の息子様の意向を受けて、
和歌山まで寝台車で息子様とお母様を乗せていってくださり、故郷の墓参りもされた。
和歌山から戻られてから、ドライアイスを入れられた。
参列者みんなで納棺。お兄様もお母様のお顔に触れられ、抱きつかれるようにお別れをされていた。
お母様の周りはお花でいっぱいになり、そして、たくさんの花に包まれ、親族の方々に見送られて住み慣れたお家から出棺された。

全て旅立つ方のプロデュースなのだと教えてくださったお母様に感謝 合掌


担当看取り士 萬慶知津子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(325)~深夜の派遣に対応して~

 

梅の花が香り始めるころ、一本の電話をいただく。
「お母様の体調があまり良くない……」と。
お母様をご自宅に連れて帰られたのは、コロナが全国に広がり始めたころ、
面会規制も厳しくなり、会うこともできなくなってきていた頃だった。
お母様の旅立ちが近くなってきたと、訪問医の先生からお話があり、
至急娘様がご家族様に連絡をされ、その日のうちにご家族の皆様はご自宅に到着された。
ご兄妹で話し合われ、母だったら延命治療を望まないと、お母様の立場に立って考えられ決断される。

お母様との温かなお時間をご家族で過ごされ3日が過ぎようとしていた深夜2時50分、
「母の呼吸が静かに変わりました」とお電話をいただく。
直ぐにご自宅に伺い玄関を開けるとお部屋は温かく靄がかかったように見えた。
娘様がお母様を抱いておられる。
お二人がとても輝いていて光に包まれ、お部屋全体が美しい空間となっていた。

訪問看護師さんにも直ぐに来ていただき、ご家族様もご一緒にエンゼルケアに入る。
お母様のお顔、手、脚と丁寧にお母様に話しかけながらゆっくりと時間は過ぎてく。

息子様、お孫様、娘様と看取りの作法をお伝えし、お体に触れていただき、
手や脚が冷たくなってきたが、触れることでまた温かさが戻ってくる。
娘様の「お母さん、ありがとう」と話しかける言葉が、優しくて温かくて、言葉にも愛がたくさん詰まっていた。
お母様のお得意なお料理がおいしかったこと、しっかり者のお母様だったこと、
お孫様と過ごされた思い出などお話しくださる。
ゆっくりと、ゆっくりと温かな時間は過ぎていき、時が止まったようだった。
いつの間にか外が明るくなっていた。

お母様はご家族様とご一緒に、これからも生きていかれる。
お母様、ご家族様が教えてくださった、看取りという最期の時の尊い空間、
生きていくということの尊さ、すべてに感謝 合掌


担当看取り士 梛野祥子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(324)~初七日訪問にて~

 

コスモスの花がやさしい季節。初七日訪問に伺う。
お嫁様が案内してくださったお部屋には、秋の陽射しがやわらかく射し込んでいる。
お母様のお写真は、息子様とご一緒にゴルフに行かれたときとお話をお聴きする。
皆様に看取りの作法をしていただいたその後の出来事を、堰を切ったように話される。

たくさん時間があったから、思い出話をしながら、ゆっくり写真を選ばれたこと。
お母様お一人の写真がなく、いつも誰かとご一緒だったこと。
選ばれたお写真が息子様とゴルフという、旅立ちの日に息子様がゴルフに行かれていたほほえましいエピソードと重なる。

旅立たれた後、「こんな美しい姿は見たことがない。」とお孫様が。湯灌の時にも、
「ひ孫が小さな手で洗ってくれたのよ」とお嫁様と一緒にお母様の身体に触れておられた姿を、明るい声でお話し下さる。

すべて、ぜ~んぶまん丸に収まりましたと両手で大きな丸を作られるお嫁様。
「家族に絆がぎゅっと強くなったようです。お母さんのおかげです。」
「看取り士さんが居てくださったから、亡くなってからも触れ続けていいことが分かって、みんなでたくさん触れることができました。
本当に良い時間でした。本当に全部まん丸。」とお嫁様。
写真のなかのお母様は、笑顔でお嫁様のお話をお聴きのようだった。

49日訪問では、お母様の大切にされていた花器などを飾られて、静かにお話しされる。
「亡くなった人に触れるのを怖いように思って居ましたが、触れる事を教わり死後のあたたかみに触れ、とても穏やかな感情になりました。
今は、ほとんどの行事も終えてお礼を告げることができ感謝しています。」とお母様のお写真の前でやさしくお話し下さった。

ゆっくりと命を受け取ることの大切さを教えていただいた皆様に感謝 合掌


担当看取り士 西河美智子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(323)~胃ろうを抜いてご自宅へ~

 

稲穂がたわわに実る頃。ご依頼者である長男様からのご連絡が入る。
2年前に食べることができなくなり、胃ろうの造設をされたお母様。現在はコロナ禍で面会できない日々が続く。
そんな中、長男様は2年前にお母様が「家に帰りたい」と話されていた言葉を思い出され、幼い頃の夢を見るようになられた。
「胃ろうを抜いて家に帰してあげたい。支援して頂けますか」。

退院日に伺うと、お母様の喜びが伝わる。
「お家に帰れて良かったですね。息子さんが、今日からお母様のお隣のベッドで休まれるそうです。
たくさん甘えてくださいね」と伝えると、嬉しそうに瞳で頷かれれる。
退院翌日には、昨日よりまばたきが増えたとご家族が喜ばれる。
リンゴジュースを少しあげたら嬉しそうだったと、スポンジで差し上げられていた。
お母様のお部屋に集まり、みんなが一緒に食事をされ、お家での暮らしが始まった。

お母様の退院で久しぶりに集まられたご家族。みんなで菊人形を見に行くからと派遣のご依頼を頂く。
お母様の呼吸は先日より荒かったが、呼吸合わせをすると落ち着かれる。
お留守番のお嫁様がお母様の思い出話をされる。
「ねぇ、お母さん」と話しかけられると、お母様が微笑んで頷かれ、驚きと喜びに包まれる。

その後、呼吸が変わったので皆様に集まっていただき、おひとりおひとり看取りの作法をして頂く。
娘様は「お母さん、お家に帰れて良かったね。ありがとう。幸せな人生やったね。
お嫁さんのお蔭やね」、次男様は「お母さんの膝枕なんて、初めてや。ありがとう」、
お孫様は「おばあちゃんは、いつも優しかった。ありがとう」、そして、ひ孫様は傍ではしゃいでおられる。
その様子は、まるで天国のようだった。
当初は電話が繋がらず、やっとゴルフから戻られた長男様。
実は、お母様ご自身が大のゴルフ好き。
「きっと、お母さんがゴルフ行きたかったんだね」とみんなに迎えられ、照れながら看取りの作法をされる。
お母様は、みんなのありがとうのなかで、美しいお姿で旅立っていかれた。

ご家族を大切に生きてこられたお母様、お母様の願いを守られたご家族。
ご本人の尊厳を守ることの大切さを教えていただいた皆様に感謝 合掌


担当看取り士 西河美智子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(322)~優しく深い「愛」に包まれて~

 

シクラメンの花が店先を彩る頃。依頼者の娘様よりお電話を頂く。
「父が肝臓がんの末期で入院中です。実家には高齢の母が一人で、自分は東京で仕事が……。
でも、家に連れて帰りたいのでお願い致します」と一気にお話をされる。
その勢いからは、何としても自宅で看取りたい!看取るんだ!そういった覚悟を感じた。
その日から退院へ向けて病院との交渉、介護保険の手続き、ご両親への説得。
医師からの余命宣告は娘さんだけが聞く。
高齢であるご両親の心中を案じ、「流れに任せて伝えます」と胸の内を話して下さる。

退院の日、大好きなコーヒーを飲みながら、家は良い、ブランデーが飲みたいと、お父様らしく過ごされる。
ご家族と一緒に過ごされ、大好きなお刺身も召し上がる穏やかな日々が続いた。
しかし、徐々に口から薬を飲むことができなくなり、痛みのコントロールが難しいため、再入院となる。
そして、娘様が東京からいらっしゃる予定の日にご容態が急変。
すぐに駆け付けたお母様と、東京から駆け付けた娘様の到着を待ち、お母様と娘様のそばで静かに息を引き取られた。

臨終後、ご自宅にご帰宅。
私は「今日はお父様を抱きしめていて下さい」と、お母様に抱いていただく。
お母様は、ご親戚やお父様のご友人、次々と訪れる方々に「身体があったかいんだ。
触ってやってくれ」と明るく勧められる。
訪問された方々は、次々とお父様の背中に手を入れ、「温かい、温かい」と、声をかけて周りに集まる。
「寝てるようだ」「笑顔に見える」「わがままで苦労したね。
でも、また一緒になるね」等々。
笑ったり泣いたり、朗らかで温かい時が流れる。
お父様のお身体は臨終後10時間を過ぎても背中が熱く、翌日に葬儀社へ向かう時までドライアイスは使われなかった。

最期の時は、こんなにも清々しく明るく、感謝のときになること周りの皆さんに教えてくださったお父様に感謝 合掌


担当看取り士 門井孝子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(321)~臨終後の看取りの作法~

 

山々の木々が秋深く色づく季節。「今、病院に着きました。リカバリールームにいます。来て下さいますか」と娘様からお電話が入る。
臨終後のお父様のベッドをはさんで、奥様と娘様が呆然と座っておられる。
「間に合っています。どうぞお父様を抱かれて下さい」と皆様にお伝えする。
娘様が膝枕をされると、涙がぽろぽろと頬を伝う。
「お父さん、ありがとう」、「お母さん、お父さん働き者だったね。働き続けて支えてくれたね。
色んなところに連れて行ってくれたね」と、たくさんの思い出があふれ出して尽きないご様子。

その横で、奥様は膝枕されているご主人様の頬を両手で包み、胸をなで、ご主人様を身体ごと受け取っておられるご様子。ご夫婦の深い愛のお姿。
お孫さんもおじいちゃんを抱いて下さる。「200回くらい、お寿司食べに行ったよ」と話しながら。
高校生のお兄ちゃんは「重いよ。大丈夫?」と、小学生の弟にも膝枕を代わられる。
その後、お孫さんからクイズが飛び出して和やかなひととき。
看護師さんがお身体を綺麗にされる間も、娘様がご一緒され、お父様へのあたたかい声かけに優しさがあふれる。

新幹線で到着された長女様も、お父様を抱いて下さる。
抱きながら、お父様の大切にされた暮らし、心を注がれた家族へのお父様の深い愛を涙しながらお話される。
悲しみではなく、お父様への感謝と思いやりがあふれている。

もう一度、次女様がお父様を、抱え込むようにやさしく慈しみながら抱いて下さる。「お父さん、ありがとう」「お父さん、良かったね」
リカバリールームは、お父様の愛と優しさに包まれる。
お世話頂いた先生や看護師さんもお部屋に来て下さり「お父さん、どんどん笑顔になられますね。
もう目尻が下がってる」とお声がけくださる。そこには、関わって下さった皆様のやさしさが溢れている。

じっとそばに居ること。その大切さと素晴らしさを教えて下さったご利用者様に感謝 合掌


担当看取り士 西河美智子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(320)~生ききること、本当のつよさとは~

 

9 月に入り残暑の中、優美なコスモスから秋の気配を感じる頃。
提携している訪問看護ステーションより「おひとり暮らしの方を支援してほしい」と連絡が入り訪問。敬二さん(83歳)。
今年4月に肺がんステージⅣと診断。

契約説明時、「死ぬのか」とポツリと話された時「安心してください。私たちがお支えいたします」とお伝えする。
長年貯めていた100円、50円、5円玉「このお金で契約が出来るならお願いしたい、数えてください」と
おっしゃったのは訪問してから5時間程経ったころ。
数え終わった時には、敬二さんは満面の笑みで手をたたかれ皆で喜び合った。
「久しぶりに笑った」と後から出てきた日記に記されていた。

契約のその日から「夜が不安だから付き添って欲しい」とご希望があり、私の夜間付き添いが開始となる。
翌日から無償ボランティアエンゼルチームの訪問を開始した。
午前中は訪問看護、午後はエンゼルチーム、夜間は看取り士と連携して支える。
4 日目の夜のこと「もうあかん」と私の腕にしがみつかれる。
背中をさすりながら「お迎えの方はいらっしゃっていますか」と尋ねると、小さく頷かれるので「もう頑張らなくてもいいですよ、思い通りになりますよ」と伝えるとまた小さく頷かれ、ささやく様に「お母ちゃん」とおっしゃられた。

旅立ち前夜、看護師さんの夜間訪問時「今してほしいことはありますか」の質問に、渾身の力を込めて「キュッキュッキュ人形」とおっしゃる。
看護師さんが夜中に探して敬二さんの手に渡されると嬉しそうに手に収められ、言葉の代わりのキュッキュッキュッキュ「おやすみ」と4 回鳴らされた。
最期に欲しかった物は私たちに心を伝えるための物。
翌日の朝、窓越しの光の中で空を見つめる敬二さんは、光に溶け込み神々しくまさに神仏となられていらっしゃる。
清く美しいエネルギーの中で神聖な世界。

契約後6 日目のこと。
弟、妹様ご夫婦と、親友の方がベッドを囲まれ、妹様に看取りの作法で抱きしめていただく中、肩で大きく4回息をされ、旅立たれる。
弟様は抱きしめながら、涙が流れそうになるのを何度もグッとこらえられるご様子にお二人の深い絆を感じる。
「願いが叶ってよかった。幸せだったね」とおっしゃる弟嫁様にも抱きしめていただく。
抱きしめられた敬二さんは本当に穏やかなお顔、大好きなおかあちゃんと一緒にいらっしゃるのだろう。
生ききることの尊さと尊厳を守る本当のつよさを教えてくださった敬二さんに感謝 合掌


担当看取り士 白瀧貴美子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(319)~1%の幸せをあきらめない~

 

萩の花が美しい季節。
第8回日本の看取りを考える全国フォーラムを9月12日オンラインにて開催。
俳優の榎木孝明様から素敵なお手紙を頂く。
日本舞踊の花柳柳優先生の常磐津「三つ面子守」の日本舞踊で、開会に華やかな花を添えてくださる。
映画「みとりし」感想文コンクール。
全国12校の看護学生様の1,200通を超える素晴らしい感想文の中から、最優秀2名の方の感想文を披露。

第1部 基調講演 柴田久美子「コロナ禍の看取りの変容」。
第2部 経済産業省 経済産業政策局調査課 経済・産業分析官兼大臣官房グローバル産業室付 藤和彦先生「死者の居場所をつくる」。
第3部 事前録画シンポジウム「あなたが考える愛されていると感じる旅立ちとは」。
第4部 株式会社船井本社 代表取締役 舩井勝仁先生「産業としての看取り」。

多死社会に向けて、この活動は、きっと日本を救い世界を救うと嬉しい希望と今後のエールを頂くフォーラムであった。

フォーラム中にも私の緊急携帯が鳴る。
「利用者様が家に帰りたいと望まれていますが、ご家族は反対されています。
でも私は諦めたくありません」数日前にそう連絡をしてくれた看取り士さんからのものだった。
  すい臓がんで余命告知を受けられた信子様(84歳)ご本人より、何度も看取り士に「帰りたい」と電話があったという。
彼女は嫁ぎ先の娘さんを説得、信子様を面会制限がある病院から自由に孫と会える家に連れて帰ることができ、幸せな旅立ちを支えたとの連絡だった。

「人生のたとえ99%が不幸だとしても最期の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」とマザーテレサは言われた。
「最期の1%の幸せを全ての人に手渡したい」それが看取り士の夢。1,500名になった看取り士の情熱を感じながら涙する一日だった。
あきらめないこと。
それを教えてくれた利用者様の最期の願いに導かれる幸せに感謝 合掌


文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(318)~本当の幸せとは~

 

向夏の候、突然の電話。
「看取り士のホームページを見てお電話させていただきました」と、おずおずとだが、しっかりとした決意あるお声から、
とても悩まれてお電話をく ださったのだとわかった。
早速お会いすることになる。
お母様は、今はまだ入院中だとのこと。
コロナの影響で半年前に数分間だけガラス越しに面会したという。
このまま会えないで死を迎えるのではなく、大変なことも多いと思うが、自宅に引き取りたい。
そう考えたが、ひとりでは不安である。
色々調べて看取り士を見つけ、一縷の望みを持って電話をかけたのだという。
「ホッとしました」と決断が自信に変わっていく。
いよいよ退院当日、私たちも医療、お母様を支えるチームの一員としてカンファレンスに加わらせていただける。
このように看取り士という職業が認められチームとなって支えることができれば、きっと世界が変わる。そう感じた。
退院されたお母様は、最初はあまり状況把握ができていないようだったが、住み慣れた自宅に戻り電車の音や匂いで感じて理解なさった様子。
お孫さんがいらっしゃると笑顔になる。
5年前から脳血管性認知症の診断がおりており、家族は意思疎通が難しいと考えていた。
経口栄養が取れず胃瘻術を考えたが胃と腸の位置が良くなく断念をし、あと1ヶ月の余命が診断されたところで、看取り士を知る。

1日3時間、合計14日間のエンゼルチームは本当に助かったし、心強かったと言う。
私も何度かご一緒させていただき経験をさせていただいたが、尊いかけがえのない空間、時間、空気を感じさせていただいた。
日々忙しく時間や、やるべき事、この後の予定あれやこれやをずっと頭の中で何かを考えている。
しかしお母様のお部屋にお邪魔すると別次元、別空間にいるようで、かけがえのない、貴重な一瞬一瞬を感じた。
ゆっくりと今を感謝と尊敬の念を思うことができる。
お看取りは突然だが、ご自身がプロデュースされたタイミングで静かに訪れた。ご家族お孫さんがお休みのタイミング。
全員一緒の時に苦しまれずそっと息が止まった。
やさしく、やさしく旅立たれた。かけがえのない時間、ずっとずっとあたたかいお母様をお孫さんもみんな抱きしめて命のバトンが受け渡された。
1週間後お会いした時に「さみしいけれど、ここに(胸を指し)お母さんがいるから」とおっしゃった姿が忘れられない。

本当の幸せとは、心の中に感謝と尊敬の念を思うことと教えてくださった利用者様に感謝 合掌


担当看取り士 看取りステーション銀座 岡村香織
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(317)~寄り添いから生まれるハラスメントにならないために~

 

「感謝」が花言葉の白いダリアが庭先に咲く季節になった。
6月26日朝日新聞、土曜日版フロントランナーに取り上げられ、たくさんの命の相談が入る。
そんな中、看取り学講座受講中の70代の男性が「上野先生の『お一人様でも自宅で死ねる』という著書を読んで僕もそうしたいと思う。
だが周りの人が『もうそろそろ施設に入ったら』と勧める。
「どうすればいいのか。困っている。」と相談を受ける。

ちょうどその時、お一人様見守りサービス中の80代の女性が「応答なし」状態になる。何度電話してもお出にならない。
担当の看取り士に訪問を依頼する。他の講師に講座をお願いして、現場の看取り士派遣とセコムの駆けつけサービスに連絡する。
そして携帯とにらめっこ。
いつも使っていらっしゃるバイクが外にあることを確認して一安心。
だが入浴中の事故死が多い一人暮らし。何事もないことを愛を込めて祈る。
心がはち切れそうで思わず携帯電話を抱きしめてひたすらに祈る。近ければ当然、飛んでいった。
そう思う心がもう1人の家族なのだ。命を命で受け止めることの深い意味を想う。
家の中にはいらっしゃらない。
いつもの携帯も居間に置いたまま。
困り果ててあちこちに電話する。そして数時間後に発見。緊張の糸が切れ一人、安堵の涙が流れる。

「終了後に東洋経済オンラインで私どもの記事を書いてくださっている荒川氏の記事「寄り添いから生まれるハラスメント」という文章を読む。
寄り添いをハラスメントにしないための文章だった。
今日のご利用者様にどんな言葉をお掛けするのが良いかを思う。
どんな日常の暮らしをなさっているかを知り得ない私。
自分の気持ちを押し付けないサービス、相手の心に踏み込みすぎないこと、自己満足にならないようにと思う。
看取り士の存在が心の支えになることを祈りながら今日の出来事を受け止める。
寄り添うことの深い意味を教えてくださった利用者様に感謝 合掌


文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(316)~ひとり暮らしの自由と尊厳~

 

福寿草の蕾がふくらむ頃、病院から自宅へ退院となったひとり暮らしの方のもとに伺う。
ケアマネジャー様からお繋ぎ頂いた方は、放射線治療を終えてのご帰宅。
ケアマネジャー様、社会福祉協議会の権利擁護の方、介護サービス様、訪問看護様、看取り士と支えさせて頂くチームでお話をお聞きする。
温泉好きな進さん(75才)は、退職後大好きなお酒を道連れに、ご自分の車で全国の温泉を巡る車上生活をされる。
その後、ご病気の治療をされ認知機能の低下があるため支援の必要となられる。
お部屋に伺うと、いつもテレビがかかっている。言葉少ない進さんの会話のお相手はテレビ。
24時間つけたままの生活。

桜満開の晴れの日、小さなビールを持って、「もうひとりの家族だから」とお誕生日のお祝いに。
やさしい笑顔でうつむきながら「嬉しいなあ。嬉しいわぁ」と久しぶりのビールを口にされ、心に残る思い出の温泉のお話をして下さる。
温泉好きな進さんだが、実は何ヶ月もお風呂に入らず、髭も伸ばされている。
お風呂に入られますかと声をかけると、その時は「今はいい」と断られ、その翌日から毎日お風呂に入られる。
在宅医の往診もお風呂の中。
先生も笑顔で「動けるから元気ってことだね」と話され、湯船の中で診察が終わる。
旅立ちの3日前まで、大好きなお風呂を楽しまれた。

血圧が下がり往診を受ける。
「膝枕をしましょうか」と声をかけると「うん」と頷かれる。
その後、少し元気を取り戻され小さな声で「ファンタオレンジが飲みたい」「大きいのを」と言われる。
飲み物を準備すると、ストローからごくごく音を立てて美味しそうに飲まれる。
また何か話されるが、聞き取れず、スケッチブックをお渡しすると『テレビが見たい』と書かれる。
ご希望通りにテレビをよく見える位置に。

その翌日、ファンタを少し口にされ、何度も繋いだ手を握りかえされる。
看取りの作法で呼吸をあわせる。じっと目を見つめてまた目をつむられる。
ケアマネジャー様が玄関を開けられる時、大きく呼吸をされて穏やかな笑顔の旅立ちをされた。
主治医の先生も穏やかな笑顔に「最期まで自由に暮らして、良い看取りだった」と話され、その後も暮らされたお部屋で全ての準備が整う。
ひとりの命の尊厳の大切さと豊かさを学ばせて頂いた進さんに深く感謝、合掌


担当看取り士 西河美智子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(315) ~ドライアイスは入れないで!~

 

シャクナゲの花が美しく咲き、例年になく暖かい日の朝、本部より派遣要請の電話が入った。
既に、お母様(信子さん82才)をご自宅で看取られていた、娘様からの御依頼だった。看取りのお作法を伝えて欲しいとの事。
到着すると、信子さんのご主人様、娘様お二人、そのご主人様、子供様が居られ、お母様はベッドの上に、
とても安らかなお顔をされて眠っておられた。
(お亡くなりになられてから32時間が経過していた)

矢継ぎ早に娘様が「ドライアイスは、まだ入れたくないです。
柩は準備し、明日、到着予定で、お葬式は葬儀屋に任せるのではなく、できるだけ、自分達が手作りで行いたい。
そういう葬儀屋さんを紹介して欲しい」等々、聞いてこられる。
一呼吸入れ、ゆっくりと「大丈夫ですよ。ひとつずつ解決して行きましょう」と伝え、依頼できる葬儀屋を御紹介する。
そして、次々となさる御質問にお答えする。
その後、ご依頼されてこられた長女様から順番に、看取りのお作法をしていただくこととなった。

お母様を膝枕で抱きしめながら「母とは、亡くなってから随分、話をしてきました。
本人は頑張ってしんどかっただろうに、それを汲んでやれず、『頑張れ、頑張れ』と言い続けました。
亡くなる時も苦しんで逝ったね。今も苦しんでいない?
もう少し、優しくすれば良かったね」等々、後悔の念を涙ながらに、ひしひしと伝えられる。
しっかり傾聴した後、「今言われた言葉は、全て、お母様の耳に届いています。
そして、娘様の愛を全て受け取られ、本当に幸せな気持ちで、旅立たれます」とお伝えすると、
言葉にならない言葉で「お母さん、大丈夫だよ……お母さん、大丈夫だよ……
(お母様があちらで不安がないようにと想いを込めて)」何度も言葉を重ねられた。

娘様が静かにお母様を包まれ、ゆっくりと時間が過ぎて行った。その後、次女様にもお伝えし、みな様に抱いて頂く。
臨終後七日間、共にお母様との日常の暮らしを過ごされた。御家族の皆様の穏やかで深い愛を教えられた。
初めての看取り士派遣という経験の中、私を支えてくださったのは御家族の皆様だった。
いままで眠っていた、慈愛の世界を経験させていただけたことに感謝 合掌

担当看取り士 森長淑子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(314) ~おひとりさまの夢の自宅死~

 

梅が咲き、春の訪れを感じながらも冷たさの残る頃だった。
一人暮らしの叔父を案じた姪の恵さんのご依頼で、お一人暮らしの叔父(勇さん)の看取りをお願いしたいと12月より毎月1回の訪問を開始。
1回目の訪問、チャイムを押すと「どうぞ上がってきて~」と若々しい声が聞こえる。とても気さくに話される 勇さん。
「若いころは人のことで走り回ったもんよ。
今は一人やし、身体が思うように動けんから助けてもらわんといかんけど、元気になったら恩返し必ずするからね」と話される。
認知症があっても、一人暮らしでも、寝たきりでも、だんだんと食べられなくなっても、「ここ(自宅)がいい。ここにいたい」という希望は、最期まで叶えられた。

月1度の訪問を終えて帰りの挨拶をすると、勇さんはいつも手を振り「ありがとう。
次また来てくれる?」と柔らかい眼差しで声をかけてくださる。
お身内さん、ご近所さん、地域の公的機関の方々の連携により、1日数回の訪問があり、勇さんの「寂しい」「一人の時間が長く感じる」という気持ちを皆が汲み、
朝のヘルパーさん、午後からのお弁当配達、訪看さんの訪問が順繰りに入る毎日。
私たちも在宅チームの一員に加わった。
ご本人の希望により週1回の訪問日、空がどんよりと曇る2月の末。
「今日は目が見えにくい」と話され、ぽつりと「お母さん」と。「また来ますね」と話し、帰りの挨拶をして帰る。
数時間経って、姪御さんより「訪看さんから亡くなられたと連絡が来たが、私はすぐに間に合わない」と連絡を受ける。
すぐに駆けつけると、訪看さんとヘルパーさんで体を拭き、パジャマから勇さんお気に入りの洋服に着替えられていた。

長年にわたりお世話をされてきた姪御さんを待つかのように、勇さんの体はとても暖かい。
間もなく、姪御さんやご兄弟が駆けつけてこられ、姪御さんが勇さんを腰に抱えて抱きしめられる。
すると、到着を待っていたかのように勇さんのお顔が和らぐ。
自らの身体を差し出し、新人看取り士の私に命を手渡すことの意味を惜しみなく教えてくださった幸齢者様に感謝 合掌

担当看取り士 上田博美
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(313)~四十九日の奇跡「再会」~

 

桃の節句。女の子が産まれると、雛人形を飾り誕生を祝い家族皆で健やかな成長を願う日。
施設での臨終の立ち会いから自宅でのお別れ。
葬儀社の紹介と四十九日の訪問のご依頼をいただく。
2 週間後と四十九日法要の後に伺うことになった。

1 回目の訪問日。この日に合わせて再会した姉妹は、ようやく話せる状態になったと安堵の表情を浮かべた。
看取りの場面をゆっくりと回想しながら、ひとつひとつ丁寧に話される。
2 年前に遡り、看取りを受け入れるまでに起こった数々の奇跡。
すべてお母様がプロデュースしていたことに気づき、ご家族はあらためてその偉大さを知ることになった。
「どんな状況になっても母のことを信頼しきって委ねている看取り士の存在が大きかった」
「あの場所だけ次元が変わっていたのかもしれない。そう思うと全て納得ができます」と。
姉妹がお互いの思いを共有することで“本当にこれでよかった”と安心感を得る 場面でもあった。
「不思議と何の後悔もなくすっきりしています」
「疲れているのになぜか体調が良いです」

2 回目の訪問、開花のはじまりを告げる沈丁花の香りに心躍らせる。
四十九日法要が終わり、徐々に日常に戻ってきたと話される。それは納骨の時の 話だった。
数年前旅立ったお父様の遺骨を目にした姉妹は、お父様がお迎えに来て くれたと感じたという。
一致したおふたりの思いだった。
「お父さんに会えた。お母さんもお父さんに会えた。」
この時からお母様だけでなく、お父様にも思いを馳せる。
「日常近くにいるような感覚で何も怖くない。むしろ自然なことだと思えます。」

微笑みの中で、お仏壇にはおふたりの戒名が並んでいた。
いのちの誕生を両親が祝福してくれたように、看取りは命を繋いでくれた両親への恩返し。
旅立ちから四十九日は、あの世とこの世の魂の交流ができる期間という。
魂の繋がり、家族の絆は永遠であることを教えてくださった魂の存在に感謝 合掌

担当看取り士 尾美恵美子
文責 柴田久美子

 


 

看取り士日記(312)~I Can’t Help Loving You All. (みんなを愛さずにはいられない!)~

 

玄関先の椿の花が凛と美しいころだった。
肝臓がん末期、大出血のため M さん(92 歳)は緊急入院。
私は、訪問看護師として 3か月前からご支援させていただいていた。

入院されて 7日目、呼吸状態悪化の連絡が入り、
院長の「何ができるか分からないが、行ってあなたができることをしてきなさい!」という言葉に心嬉しく、
そして勇気が湧き、入院先に看取り士として伺った。
ご本人の肩に手を当て、心の中で「ご家族に何をお伝えしたいですか?」と伺いながら、
緊急入院時に交わした会話を私は思い出した。
「今、どなたに一番側にいて欲しいですか?」の問いに、「それは言えん!」と一言。
「皆さん全員が大切という事ですね。」と伝えると、
こくりと頷かれた情景が、鮮明に私の心に蘇る。

奥様が前日のエピソードを涙ながらにお話ししてくださる。
「必死に何かを訴えるのだけれど、分からなくて……」震える手で書いたメモで、
唯一“ 帰 ”の文字だけが読み取れ、次男様が「帰りたいのか?」と問うと、
両手でパチパチと手を合わせる仕草をされたと。
そのお話を聞いた私は、「ご決断はご家族ですが、私共は今すぐでもエンゼルチームを編成します。
自宅では当院で診療いたします。ご家族様は何も心配いりません。」と、きっぱりとお伝えした。
「家に帰ろう!」 ご家族様がご本人様のお気持ちにお応えした瞬間だった。

旅立ちは、願われた自宅到着から 2時間後のことだった。
ご家族様お一人一人に抱きしめて頂いて、命のバトンの受け渡しをしていただく。
お孫様が抱きしめている時、奥様が「ジージはこれを望んでいたんだね。」と涙を流される。
はしゃいでいたお孫様方も、小さな体で命のバトンを受け取る時、
ある瞬間から涙をいっぱいに溜めて頬が紅色に変わり、穏やかな表情になっていく。
それは、一体感を確かに感じられた微笑ましい瞬間。
お孫様に抱きしめてもらうたびに、ご本人様の目尻が下がっていかれる。
ご家族様にしっかりと抱きしめていただき、旅立ちから3時間後もまだまだお身体は温かく、
そのぬくもりは今も私のこの手に残っている。
ご本人様の家族愛の深さと強さが、わたくしの道はこれで良いのだと、
背中を押してくださったことに心から感謝 合掌。

担当看取り士 内堀敬子
文責 柴田久美子



 

看取り士日記(311)~自分がプロデュースする旅立ち~

 

店先のチューリップの花が春を呼ぶ。
今回のご依頼者様とのご縁は2年前に遡る。
誤嚥性肺炎で施設から救急車で転送された先の病院で、
医師から余命宣告をうけ、私どもにご相談。その後、回復なさった。

今回連絡を受けたのは、施設のかかりつけ医の先生から「看取りが近い」という報告を受けての事だった。
ご家族の一番の心配は、コロナ禍にありご家族の面会が、制限されているということ。
看取りの時期が近いのに、思う様に面会が出来ないということが辛いとの事だった。
数ヶ月ぶりに面会したお父様は、食事をとられていない状態が長くやせ細っていらした。
声がけに対してもすでに反応が鈍く、今日明日、何があってもおかしくないと告げられた。
二年前は看取りをしていなかった施設だったが、今回は看取り士も立ち会うことも許可を出して下さった。

改めて施設側に訪問をする事になった当日、
看護師さんから「苦しそうな呼吸に変化しています」と直接連絡をもらう。
お部屋に伺うと、呼吸は明らかに旅立ちに向けての変化をし始めていた。
「苦しんでいるのですか」心配そうに質問されるご家族に、どのような状態におられるか説明することで、
安心をしてもらい、触れながらご本人と呼吸を共有していく。
家族が見守る中、やがて呼吸は無呼吸が延長し、口呼吸へ。
その間もお父様の身体をご家族が囲み、声がけをする。
それぞれの想いを口にし、最期の呼吸は長男さんの膝枕の中で静かに迎えられる。

最期の呼吸のあとも、集まった家族一人一人が膝枕をして、
感謝の気持ちを伝え、命のバトンを受け取られた。
「私には膝枕をする資格がない」と泣き出したお孫さんは、
介護に忙しくしていたお母様に文句を言ってしまった事を悔いていたが、
膝枕をして言葉をかけた瞬間に解決できた。

旅立つ御本人のお父様がゆっくりと時間をかけて、
ご家族との別れをプロデュースしてくださり、家族主体で看取りが出来た事に感謝 合掌。

担当看取り士 清水直美
文責 柴田久美子